Grammatica+  上級へのイタリア語

[第57回]pocoとalcuno/イタリアのマスク事情

イタリア南部シチリアのニュースです。感染再拡大を受けてパレルモが黄色ゾーン(色分けゾーンについては第48回第49回でも取り上げました)初日を迎えるも、暑さもあって、マスクを着けている人はまばらだ、と報じられています。

この記事のタイトルと本文の一文を以下に引用します。

Covid: primo giorno in giallo a Palermo, pochi con mascherine
コロナ:パレルモで黄色ゾーン初日。マスク着ける人はわずか

Molti la (=mascherina) tengono abbassata o sul braccio, alcuni neppure la indossano.
多くの人はマスクを(着けていても)下げるか腕に付けるなどしており、そもそも身に着けていないという人もいる。

Agenzia ANSA, 30 AGO)

これってどちらも第55回のテーマだった「限定詞の代名詞的用法」ですね!

それはさておき、ここではどちらも「人」を指しています。この、複数形で「人」を表し、代名詞として使われるpochialcuni、それぞれ『伊和中辞典』では次のように説明されています。

poco
[代名]《不定》
2 [複で]少人数

alcuno
[代名]《不定》
1 [複で](主に人を受けて)ある人々;(特定の物を受けて, その)いくつか

今回引用した2つの用例におけるpochiとalcuniが入れ替え不可能であるということは分かる気がします。でもそれがなぜかと問われると、違いがうまく説明できません。これらの語はそれぞれどのように使われるのでしょうか。

 

ふわっと使えちゃう表現シリーズですね

国光くんと同じく、こういう表現は適切に使えるけれども、どういう意味の違いがあるのかと言われると困るという人は多いのではないでしょうか。日本語だと、「しか〜ない」みたいな表現も似たようなことをしていますね。今回は、こういう表現の違いがなんなのかについて検討してみたいと思います。そのためにまず、小学館の伊和中辞典のalcunoの項から持ってきた例文と、それをpocoに変えた文の二つを見てみます。話し手(私)が、最近日本に旅行をして東京、大阪、広島の三つの町を訪れたのち、この二つの文のどちらかを言ったと想像してみてください。

Ho visitato alcune città.
私はいくつかの町を訪れた。

Ho visitato poche città.
私は少しの町しか訪れなかった。

これら二つの文は、どちらも話し手の気持ち次第で適切でありえますよね。ここでポイントなのは、実際に起こった出来事(話し手が三つの町を訪れたこと)そのものはどちらの文でも同一であるということです。にもかかわらず、イタリア語でも日本語でも、この二つの文が何かしら異なる二つの「意味」を持っているという直観が我々にはあります。なぜなんでしょうか。

とりあえず疑問文だとか命令文だとかのことはおいておくことにして、今回の文のような平叙文(frase dichiarativa)に話を絞って言うと、文には世界のことを記述する働きがありますよね。今回の文は「何人かの(多くはない)人たちがマスクをしている」という現実世界の状態を記述しているし、上の例文では「話し手が何個かの(多くはない)町を訪れた」という現実世界で起こった出来事を記述しています。

一方で、言葉というのはコミュニケーションの手段ですよね。実際に我々が行うコミュニケーションでは、言葉を使って、世界の状態だとか起こった出来事以上のことが伝えられています。例えば、第44回で扱った指小辞-inoはついている名詞に対する話し手の(ポジティブであったりネガティブであったりする)評価を伝えていました。また、第50回の談話標識ehは話し手が文の伝える情報(すなわち、文が記述する現実世界の状態)を真実として受け入れることを聞き手に求めるために使われていましたね。

このように見てみると、我々が「文の意味」となんとなく思っているものには、(少なくとも)二つの側面があることがわかります。文が記述する世界のあり方と、それに対する話し手の態度や評価ですね。前者のことを命題(proposizione)、後者のことをモダリティ(modalità)ということがあります。モダリティについては、第13回でも軽く触れましたね。ちなみにproposizioneという用語は「従属節」の意味で使われることもある(というか、その方が多い)ので注意してください。

さて、ここまで来るとalcunoとpocoの違いもわかりますね。命題の観点から見るとどちらも「いくつかの」くらいの意味ですが、表すモダリティ的な意味が違うのです。要するに、話し手が「いくつかの」に対して持っている態度が違うのですね。大雑把にいって、pocoの場合には話し手の否定的な態度、alcunoであれば肯定的な態度であると言えそうです。今回の文では、そもそも全員がマスクをつけているべきであるという前提に立ってみれば何人かがマスクをつけているというのはその数が少なすぎるという評価になるし、逆に何人かがそもそも下げているとか腕につけているとかですらなく持ち歩いていないのであれば、それは多いという評価になるということですね。

 

【+α】イタリアにおけるマスク

第48回の[+α]でも解説されているように、イタリアではゾーン別措置というのを行っていて、ワクチンキャンペーンのおかげで状況が劇的に改善して全土がホワイトゾーンになっていたというのがこのニュースの背景ですね。全土がホワイトというのは要するに実質的にゾーン別措置がなくなっていたということですが、特にホワイトゾーンでは屋外でのマスク着用が義務でなくなっていたというのがポイントですね。今更イエローに戻ったので外でもマスクをしてねと言われても、守らない人が続出なのはまあ想像できる範囲ですよね。そもそもイタリアではマスクをする習慣なんてまるでなかったし、暑いのでみんなできればしたくないんですよね。

といっても、マスク着用の義務のないホワイトゾーンでも屋外でマスクをしている人はちょこちょこ見かけます。着用義務のきちんとある屋内でマスクをしない人はかなりの少数派だし、僕は以前からイタリア人は真面目だと言い続けているのですが、この印象がまた裏付けられたと思っています。(土肥)

 

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