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[第77回]「ジェルンディオ構文」/フィレンツェで強盗に遭った91歳「誰も助けてくれなかった」

第77回! 縁起のいい数字が並んでいますが、今回取り上げるのは不運に遭ったおじいさんの話です。91歳男性(若かりし頃は陸上競技のアスリート)がフィレンツェの路上で強盗に遭い、勤続祝いにもらった時計を盗まれた、という事件です。

割と全国的なニュースになったらしく、各種メディアで取り上げられていたのですが、なぜかというと、周囲に人がいたにもかかわらず誰も助けなかったからです。今回、私たちが見ていく記事では、事件が起こったのが、主に外国人が店を出している通りであり、強盗犯も外国人であった(※犯人は未逮捕)とも記されています(このことについては最後の[+α]でも触れています)。

さて、被害者の男性は時計を奪われる際、暴行されるのですが、誰も助けてくれないのを見て取るや、自ら反撃に出ます(Matteuzziは被害者男性の名前です)。

Matteuzzi comunque ha reagito, si è difeso, colpendo il malvivente più volte con una busta.             

ANSA, 12 ottobre 2023)

なのでマッテウッツィは、犯人を財布ケースで複数回たたくことで反撃し、自らの身を守った。

 

(田中)ジェルンディオをメインテーマとして取り上げるのは今回が2度目ですね。

このcolpendoはcolpire(~を打つ,たたく,殴る)のジェルンディオで、ここでの用法はごく普通の「分詞構文」……と、普段もっぱら英語に接している私は思ってしまったのですが、そうなんですよね、イタリア語はジェルンディオとは別に現在分詞と過去分詞があるわけで、これは分詞構文とは言えないわけですよね! じゃあ、なんすかこれ?と一瞬態度の悪い人になりかけたのですが、これこそジェルンディオのいちばん普通の使い方なの…かしら?

(土肥)ジェルンディオ構文?

まあ、分詞構文って要するに「分詞を使った構文」と言っているに過ぎないことと、それからイタリア語で-ando/-endoという形を分詞と言わずにジェルンディオと呼んでいるのは別に機能に関連して大した理由があるわけではない(第26回)ことを考えれば、分詞構文とは言えない、というのは単純に呼び方の慣習という気がします。

呼び方はともかく、今回の表現も最近頻繁に扱っている従属節の一種ですね。文を見てみると、ha reagitoとsi è difesoという二つの動詞がeみたいな、いわゆる等位接続詞なしで並列されていて混乱させられますが、ちょっとシンプルにすると次のようになって、動詞difendersiを中心として表されている出来事に関わる要素の一つが、それ自体動詞colpireを中心としたまとまりによって表されているわけですね。

Matteuzzi si è difeso colpendo il malvivente più volte con una busta.

ジェルンディオは人称や数に応じて変化しない、不定法の一種ですね。したがって、今回の「ジェルンディオ構文」は第75回で扱った不定法の従属節の一種です。第75回では同じく不定法の一種である不定詞(ややこしい!)を使ったものを扱ったのと、第33回では過去分詞を使った分詞構文が出てきましたね。ジェルンディオを使った従属節は、そのまんまジェルンディオ節proposizione gerundivaと呼ばれることがあります。

 

ところで、第75回では、preferire+不定詞でできた文において、不定詞(を中心として作られる、不定詞節proposizione infinitiva)がpreferireの直接目的語だということを見ましたね。preferireは他動詞で、当然、直接目的語として現れる「好む物・事・内容」を要求する動詞ですよね。したがって、preferireの後にくる不定詞節は動詞によって要求されている要素、すなわち第20回で言うところの中核的な要素をなしているわけですね。これに対して、今回の文や第33回の分詞構文を見てみると、これらの節はちょっと毛色が違うことがわかります。動詞difendersi「身を守る、自衛する」が要求するのは主語として現れる「守る人や動物」と、せいぜいda+人で表される「攻撃してくる人や事象」くらいで、「どうやって守るか」は付随的な情報に過ぎないですよね。実際、この文はcolpendo以下を取り去ってしまっても問題なく成立します。しばしば中核的な要素である不定詞節と違って、ジェルンディオ節は、もっぱら非中核的な要素を表すために使われるんですね。

おそらくこのことと関連して、ジェルンディオ節は「副詞節」の一種であると言われることがあります。「副詞」というのはそれ自体がけっこう定義しようとすると難しいですが、ここでは主語や直接目的語になっている節だとか関係詞節とかいった、直観的にもっと文法的と思われるような役割を果たしていない、付随的な情報を文に付け加える働きのある節である、くらいの意味でしょうか。ちなみに、主語や直接目的語になっている節のことを名詞節、関係詞節のことを形容詞節と呼ぶことがあります。実際、ジェルンディオ節は割と色んな種類の情報を伝えることができて、今回のように主節の出来事の様相を描写してみたり、その理由であったり、実現する条件なんかを述べることもできます。文法書によっては、この機能に応じて「理由節」「様相節」みたいな感じで分類しているものもありますね。いずれにせよ、ジェルンディオ節というのが形態に言及した用語であるとすると、副詞節というのは文の中で果たす役割に言及した用語であると言えそうです。

 

[+α]もう少し記事を読んでみましょう

(田中)私はシエナの語学学校に半年ほど留学していたことがあって、その際、フィレンツェに行くことも数回あったわけですが、言うまでもなくフィレンツェは有名観光地であり、多くの露店があり、ひったくり事件が起きても特に不思議はない、という印象を受けました。

今回引用した記事は、ほとんど「感情的」と形容してもいいほど、この事件の悲劇性を強調していますよね。記事の末尾付近では、被害者男性の「フィレンツェは変わってしまったんだ、という思いが頭から離れない」という言葉も引用されています。

あるいは、こんな記述もありました。

 Nessun passante né i negozianti della zona sono intervenuti in suo aiuto; nel’area dove si è consumata la rapina, situata tra la stazione Fs di Santa Maria Novella e le Cascine, molti esercizi commerciali sono condotti da stranieri come straniero era il rapinatore.

(※nel’areaは原文ママ。)

その場にいた通行人や店を出していた人の誰も、彼を助けようと介入したものはいなかった。強盗が行われた地域は、サンタマリアノヴェッラ駅とカシーネ駅の間に位置し、多くの商業活動が外国人によって行われている。そして今回の強盗犯も外国人だった。

最後のマーカー部分は、少し「おっ」と感じませんか。監視カメラに映っている加害者は、黒人男性のように見えますが、だからといってstranieroと断言できるのでしょうか。また、その地区における外国人商業者の多さと安易に結び付けてしまってよいのでしょうか。いやそれとも、フィレンツェ(ひいてはイタリア全体)に暮らす人々の実感として、治安悪化(や人々の他者への無関心ぶりや警戒心の高さ)が著しい、ということが背景としてあるのでしょうか。どう思いますか。

 

(土肥)イタリアっぽい感覚でいうと、こういう「都会的」な人々の無関心さはちょっとショッキングというか、白昼堂々と行われた犯罪に対して誰も介入しないというのはニュースになるに値する出来事だというのはわかる気がします。

といっても、フィレンツェって超有名観光地である一方で実はものすごく規模感の大きい街というわけではないという、ちょっとアンバランスなところが特殊な立ち位置ですよね。実際、この区画は決して治安がいい場所とは言えないですね。地元の人が「フィレンツェは変わってしまった」と嘆くこと自体は、まあそうなんだろうなと思ってしまいます。

一方で、この記事は確かに、まるでこの地区で商業を営んでいる外国人たちのうち一人が凶行に及んだかのような書き方ですよね。どんな少数派でも似たようなことが起こりますが、イタリア人が犯罪を犯しても個別の犯罪者でしかないのに、外国人だとなぜかまとめて犯罪者扱いされるわけですね。外国人へのアレルギー的な反応はイタリアが直面している移民に関連する諸問題はもちろん、観光地として日々外国人観光客と向き合わなければいけないという、フィレンツェに限らないイタリアの現実とも関係していそうですね。イタリアで暮らす外国人ではなくなりましたが、とにかくイタリアに関わる仕事をしていてまた何度も行く機会があるであろう身としては、やっぱり外国人への偏見を煽るような書き方には気をつけてほしいと思います。

ただ、アジア人の位置付けってこういう文脈で「外国人」と一口に言うのともまたちょっと違うんですよね。良く言えば無害だと思われているし、悪く言えば特に考慮されることのないその他大勢という感じがあります。外国人といってもその背景はさまざまで、それに伴って起きる問題も異なっているんですよね。その結果として、外国人同士で連帯するのも、もっと言えば在欧日本人同士で連帯することすらなかなか難しいところがあります。外国で暮らすのって、ある種の強さが必要なんですね。

 

 

画像:UnsplashのAli Nurediniが撮影した写真

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