Grammatica+  上級へのイタリア語

[第13回]条件法とモダリティ/イタリアが報じる日本のコロナ事情②

(2022/3/24改訂)

「イタリアが報じる日本のコロナ事情」(※ニュースは2020年のものです)の第2回、本日のテーマは「条件法」です。これまでGrammatica+で扱った条件法は、仮定の文と時制の一致で過去における未来を表すときだったはず。今回はそれらとは異なる用法で登場します。ハイライトとした箇所がどのようなニュアンスなのか考えてみましょう。

(1) Secondo un sondaggio della televisione nazionale NHK pubblicato il 14 dicembre, il suo consenso sarebbe al 42 per cento, 14 punti in meno di un mese fa.
12月14日に公表された全国放送NHKの調査によれば、彼(=菅義偉)の(内閣の)支持率は42%(     )、ひと月前より14ポイント下がった。

(2) L’operazione ha funzionato e molte persone sono effettivamente partite con “Go To Travel”, ma questo potrebbe aver portato anche a una maggiore circolazione del virus.
そのキャンペーンは功を奏し、大勢の人が実際に「GoToトラベル」に参加したが、これが大規模なウイルス拡散をも引き起こした(     )。

普段英語にしか触れていない私からすると、どちらも「へえー」となります

(1)の「42%」はある種の事実であるはずです。にもかかわらずここで条件法が使われているのは、それが「伝聞」に基づくものなのでしょうか……?

(2)で条件法過去が用いられているのは、過去の不確かな事柄を推測して言っているから……? 土肥くん、教えてください。

 

条件法の用法、多いんですよね

条件法が何を表しているのかを理解するためには、叙法(modi del verbo)という概念を知っておく必要があるように思います。叙法というのは要するに直説法とか接続法とかの「法」部分のことで、一言でいえば「のべ方」のことです。これだけではよくわからないと思うので、次の文について、特に動詞の形に注目して考えてみましょう。

Maria è partita.
「マリアは出発した。」

この文がそうであるように、イタリア語の動詞は主語の人称(ここでは三人称)、(単数)、(近過去)、それから場合によって(女性)にあわせて形が変わりますよね。これらのパラメータに対応した形(たとえば人称なら、sono, sei, è…)は、それぞれパラダイムをなしています。こう考えてみると、動詞の形を決めるにはもう一つのパラメータがあることに気付きます。叙法ですね。次の文を見てみます。

Maria sarebbe partita.
「マリアは出発したかもしれない。」

条件法(sarebbe)と直説法(è)はパラダイムをなしていて、動詞の形を決めるパラメータの一つです。二つの文で何が違っているのかというと、描写されている出来事(マリアが出発したこと)の提示の仕方、すなわちのべ方です。どういうことかというと、文が描写する出来事がどの程度確実に現実世界の出来事と一致しているものとして話し手が提示したいのかが違うのです。直説法はこの出来事を現実と一致するものとして提示するのに対して、条件法は一致する可能性のあるもの、あるいは条件つきで一致するものとして提示します。こうした、文の表す出来事に対する話し手の態度のことを一般にモダリティ(modalità)と言います。しばしば我々がざっくりと「ニュアンス」として理解しているものも、大体がモダリティの一種ですね。

 

重要なのは「それが事実かどうか」ではなく「事実として提示しているかどうか」

さて、現実と必ずしも一致せず、あくまでも一致する可能性があるものとして提示したい出来事というのは考えてみると結構多くて、これが条件法の用法の持つ多様さと結びついているのですね。我々が条件法の用法として学ぶ「話し手の主張や願望を和らげる」だとか「不確かな出来事を表す」みたいなものは、条件法の持つこうした根本的な機能の帰結です。たとえば、「ジェラートが食べたい」という願望を絶対的な事実として提示するよりも、「もし可能であれば、ジェラートが食べたいのだけど」というように条件つきで提示する方が柔らかい言い方になりますよね。

最後に、以上を踏まえて今回の二つの文における条件法をもう一度見てみると、(1)は伝聞の用法、(2)は主張を和らげる用法であると言えそうですね。どちらも、典型的に文の表す出来事を現実と一致する可能性のあるものとして提示したい文脈です。

といっても、(1)のような条件法は実は報道に関する文に典型的な用法で、どちらかといえば慣習的に使われているものなんですよね。理屈としては、「菅内閣の支持率が42%であること」という文が表す出来事を、「我々の情報源によれば・我々の情報源が正しければ」という条件つきで現実と一致するものとして提示するわけです。ここで国光くんも疑問に思っているように、「42%なのって事実じゃないの?」と思われるかもしれないんですが、重要なのは、文の表す出来事が実際に現実と一致しているかではありません。文の表す出来事が現実と一致しているものとして、話し手が提示しているかどうかなのです。我々は事実と異なると知っているものを事実として提示する(嘘をつくとか、不利な事実を伏せて説得する)こともあるし、ほぼ間違いなく事実であると知っているものを確実でないものとして提示する(中立を保つとか、報道であれば情報源の存在を明らかにするとかいう理由で)こともありますよね。叙法の役割は、あくまで「のべ方、すなわち提示の仕方」です。(1)のようなものは、主張を和らげるケースの一つであったものが慣習化して、報道における伝聞一般に使われるようになったものだと言えそうですね。

 

[+α]コロナ禍とイタリア文学

コロナ禍は世界全体にとっての災禍であると同時に、感染拡大が深刻な国々それぞれにおいて「国難」とも言うべき様相を呈しています。これに立ち向かうべく現場では医療従事者が、舵取り役としては政府が、そして国民全体も個々人のレベルで感染予防対策を通じて日々苦闘しているわけですが、アート・芸術の領域でもコロナとどう向き合うかは大きなテーマになっています。

文学界の話をすれば、感染拡大のかなり早い段階(2020年3月26日)で、イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノがNel contagioというエッセイ集を発表し、それが日本でも『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介訳、早川書房)として紹介され、話題になりました。この邦題はコロンビアの文豪ガルシア=マルケスの傑作で、同じく感染症がモチーフの1つである、『コレラの時代の愛』に掛けたものですよね。

イタリアの古典文学には『デカメロン』という誰もが学校で習う作品がありますが、これもペストという疫病の蔓延を背景とするものです。これを踏まえた『デカメロン2020』という本が昨年末、方丈社という出版社から刊行されました。これはイタリアの若者たち24人がコロナ禍での生活を綴ったもので、クラウドファンディングを通じて書籍化に漕ぎ着けたものを内田洋子氏が訳したものです。(田中)

 

引用箇所の語句と訳

(1) Secondo un sondaggio della televisione nazionale NHK pubblicato il 14 dicembre, il suo consenso sarebbe al 42 per cento, 14 punti in meno di un mese fa.
[語句]sondaggio: 調査/consenso: 賛同、支持
12月14日に公表された全国放送NHKの調査によれば、彼(=菅義偉)の(内閣の)支持率は42%とのことで、ひと月前より14ポイント下がった。

(2) L’operazione ha funzionato e molte persone sono effettivamente partite con “Go To Travel”, ma questo potrebbe aver portato anche a una maggiore circolazione del virus.
[語句]circolazione: 循環
そのキャンペーンは功を奏し、大勢の人が実際に「GoToトラベル」に参加したが、これが大規模なウイルス拡散をも引き起こした可能性がある

 

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