Grammatica+  上級へのイタリア語

[第50回]談話標識(segnale discorsivo)/Ddl Zan(ザン法案)とラッパーFedez①

記念すべき第50回!です。読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。

今回はけっこうイタリアに通じていないと知らないかもしれないトピックですね。このイントロでは、一連の出来事についてごく単純に説明し、最後の[+α]でもう少し情報を補うことにします。まず、「Ddl Zan(ザン法案)」とは何かということについて、BBCニュースから引用してみましょう。

LGBT活動家で政治家のアレッサンドロ・ザン氏にちなんで名付けられたザン法案は、昨年11月にイタリア下院で可決された。成立するには上院を通過する必要がある。同法案は女性やLGBT、障害者に法的保護を与えるもの。こうした保護対象者へのヘイトクライム(憎悪犯罪)や差別で有罪となった場合には、最高で4年の禁錮刑が科される可能性がある。

ローマ教皇庁、同性愛嫌悪を処罰する法案は「信仰の自由を抑制」、2021年6月23日)

タイトルにもあるFedezはイタリアで大人気のラッパーでLGBTの支持者ですが、あるコンサートの前日に、イタリアの国営放送局であるRaiの幹部から直接電話で、コンサートで発言する予定の内容を提出するよう要求されただけでなく、「(Fedezがコンサートで)批判しようとしている政治家の名前を出すな」などと脅迫めいたことを言われます(Fedezはこれを無視してコンサートではDdl Zanを支持する発言を行う)。さらに、これを録音していたFedezが音源を公表し、大きな話題を集めました。

次の引用文で見るように、Raiは国営放送局なので議会に監査委員会が設置されています。Fedezはその委員会で自分の言い分を主張しようとしますが、それが委員会によって拒否されます。以下に出てくる「同盟」は右派政党で、これらの政治グループの反対により法案が下院を通過するのが遅れているのです。

La commissione bicamerale di Vigilanza Rai rifiuta di ascoltare Fedez. Lo rende noto il capogruppo della Lega nella commissione stessa, il leghista Massimiliano Capitanio e il rapper lo fa sapere ai suoi 13 milioni di follower su Instagram: «Paura eh! Questi erano quelli del* “serve un contraddittorio”».

Corriere della Sera, 26 maggio 2021)

両院合同のRai監査委員会は、Fedezの聴取を行うことを拒否している。同委員会における「同盟」の議長である、同盟党員マッシミリアーノ・カピターニオがそれを発表すると、このラッパー(であるFedez)はそのことをインスタグラムで自身の1300万人のフォロワーに知らせた。「怖いんだろう! こいつらが『反対尋問が必要だ』の(=と言っていた)やつらだよ」

[*del:元の記事ではcheでしたが、他の記事との比較や文脈からdelの間違いだと思われるので修正しています]

 

Paura eh!のehについて聞きたいのです。

ehは辞書にもちゃんと載っています。伊和中辞典を見てみると、実に6つもの意味が載っているのですが、ここではその最初のものが該当します。

1 (主に文の最後に付けて, 確認, 共感, 念押し, 催促などに)…だろ, …だね
“Che bella giornata, eh?” “Sì, sì.”|「いい天気ですね」「そうだね」

いかにも口語的な表現という感じですよね。

 

辞書では「間投詞」interiezioneという扱いですね

まあどういう名前で呼ぶかはどうでもいいと思うのですが、間投詞と言われると例えば頭をどこかにぶつけた時に出てくる「いたっ」とかみたいな感じで、コミュニケーション上の意味をほぼ持たない言葉という感じがしますよね。それに対して、ehみたいな言葉は辞書にしっかり載っていることからもわかるように、きちんと意味を持っています。ここでは「確認」とか「共感」の意味でしょうか。このような言葉はどの言語にも結構あって、談話標識(segnale discorsivo)と呼ばれることがあります。ehの他によく話題になる談話標識をいくつか見てみましょう(例文は全て、Bazzanella 1995からです)。

Guarda, non puoi sbagliare.
間違えようがないよ。

Era bello, no?
よかったよね?

Si possono eh diciamo avere molte varianti.
言ってみればいろんな種類があるわけです。

これらの例文にはとりあえずの訳をつけてみましたが、イタリア語にかなり自信のある人でもこの手の言葉を訳せと言われると難しいなと感じるのではないでしょうか。同様に、いわゆる終助詞(「ね」とか「よ」とか)は日本語の典型的な談話標識ですが、これをイタリア語に訳せと言われても困っちゃいますよね。談話標識の特徴は、各言語に固有のものが非常に多いことに伴って他言語に訳しにくく、その結果として学習者としては習得しづらいことにあります。もちろんそもそも口語的な現象であることも手伝って、教科書で学ぶイタリア語となじまないこともその傾向に拍車をかけていますね。

談話標識についてはもうネイティブの話すイタリア語になるべく多く触れるとか、自分でも積極的に使ってみるとかといった地道なものしか習得の方法はない気がしますね。ですが、次の二点については知っておいて損はないように思います。

1.ネイティブの説明を鵜呑みにしない

まず、実はこの手の表現に限らないと個人的には思っているのですが、ネイティブの説明を鵜呑みにしてはいけないということです。イタリア語の母語話者というのはもちろんイタリア語を基本的には間違えない人たちですが、それは別にイタリア語について言葉にして説明できる形で正しい知識を持っている人たちであるということを意味しません。特に談話標識については、ネイティブの自己分析は全然あてになりません。これは例えば、終助詞「ね」の意味を日本語で説明しようとしてみればわかると思います。人によって全然違うことを言うだろうし、簡潔で正確に言おうとすればかなり高度な専門知識がいるだろうということは、容易に想像がつきますよね。イタリア語のネイティブが持っている談話標識に関する知識も、そのレベルです。とはいえ実際に談話標識を使ってみて、「今のは自然だった?」と聞いてみることには意味がありそうですね。

2.その重要性を軽視しない

二つ目は、一つ目の点とも関連しているのですが、談話標識の持つコミュニケーション上の重要性を軽視してはいけないということです。ネイティブに聞くとしばしば、「この言葉には大した意味がない」とか「なくても大丈夫」みたいなことを言ってくるんですよね。確かに談話標識は単に話し手が間を繋ぐためだけに使われることがあるし(「フィラー」riempitivoと呼ばれます)、談話標識がないせいで間違った文ができることは基本的にありません。要するに、「あってもなくても伝わる内容は同じでしょ」というわけです。

でも、コミュニケーションにおいて我々は単に情報を伝えているだけではありません。例えば今回の文(動詞がないですがとりあえず文と呼んでおきます)でいえば、Fedezは「あいつらは怖がっている」という内容を単に伝えているのではありませんよね。ehをつけることでその内容を聞き手(フォロワーたち)が真実として受け入れるべきものとして提示していて、確認・共感することを求めているわけです。この文を言う目的は、内容そのものよりもむしろこの確認や共感にあるわけですよね。そう考えると、「どう伝わるか」は「何が伝わるか」と同じか、むしろそれ以上に重要です。談話標識は、「どう伝わるか」に重大な影響を持っているわけですよね。もちろん、母語で話していたって、言語によるコミュニケーションは意図していたのと違った形で伝わることがあります。だからこそ難しいのですが、談話標識はどれも努力して習得する価値が十分にある言葉ですね。

 

【+α】ザン法案とFedez

ザン法案は言ってみれば日本でも議論されていた「LGBT法案」のイタリア版ですね。同じようなタイミングで同じような内容について議論が紛糾しているのはいかにも日本とイタリアという感じがします。日本では結局6月16日に閉会した前国会での提出は見送られたわけですが、イタリアでは日本と比べると現在進行形ですね。まあ、イタリアって夏休み期間は本当にありとあらゆるものが滞るのでこの議論も前に進まないであろうと思われるのですが。

ともかく、このニュースだけみるとよく知らない人はFedezという人は人権活動家なのかなと思う気がするのですが、彼自身はラッパー兼インスタグラムを中心に活動するインフルエンサーという感じですね。LGBTアライというのもオシャレの一環という印象が強いです。要するに、だいぶ薄っぺらいんですよね。ザン法案に賛成する立場の人からは、賛成してくれるのはいいけどこの人が中心にいるのは…というような感じで、やんわりと距離をとられている気がします。といっても、若者に人気のあるアーティストがこういう法案に賛成を公言しているというのは日本では考えづらいことで、いつもの「遅れているけど日本よりはマシ」なイタリア、という感じがありますね。(土肥)

 

 

Image by Filmbetrachter from Pixabay

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