Grammatica+  上級へのイタリア語

[第26回]諦めか、英断か―なぜ「ジェルンディオ」という?/台頭する「代替肉」産業①

今回はお肉のお話ですね。主に気候変動対策の一環として、従来の畜産は減らしていていこうという動きがあります。牛のげっぷに含まれるメタンが温室効果ガスとなる、あるいは、畜産業において使われる水の量が膨大であることなどが理由です。また、動物愛護の観点から飼育・屠畜そのものを問題視する人が増えており、肉食を避ける・減らす人たちは増え続けています。

そんな中で注目を集めているのが代替肉・人工肉の産業です。次の一文は、そのように台頭する代替肉産業について書かかれたものです。

マーカーで印をつけたジェルンディオが今回のテーマです。

Da Nestle a Burger King passando per McDonald’s, sono decine le aziende e i laboratori che stanno tentando di replicare la carne miscelando e lavorando anche geneticamente i vegetali per replicare a perfezione quel sapore che nessun vegetale senza l’aiuto della scienza può restituire.

Corriere della Sera, 19 febbraio 2021)

ネスレやバーガーキングからマクドナルドまで、数十の企業や研究所が野菜を混ぜ合わせたり遺伝的にも加工したりするなどして肉を再現しようとしている。科学の助けなしにはいかなる野菜でも再現できないその味を完璧に再現するためである。

イタリア語の文法用語の中で「ジェルンディオ」だけカタカナなのはなぜ?

っていうのはイタリア語を学んだ人なら誰でも一度は気になる点だと思うんですよね。それと、英語のdoingに対応するものとして、イタリア語ではジェルンディオと現在分詞の2つがあるという点も気になります。

ちなみに、上に引用した文の構造の把握、そしてこの文における4つのジェルンディオの使われ方についてはすんなり把握できました(と自分では思っています)。この文の核はsono decine le aziende e i laboratori che stanno tentando di replicar la carneの節で、〈Da Nestle a…〉は前から、〈miscelando e lavorando anche…〉は後ろから、この節を修飾しています。後者の〈miscelando e lavorando…〉は、「~によって」の意味で「手段」を表していますよね。また、核となる節のtentandoはstannoとともに「現在進行形」を形成しています。

 

ジェルンディオの用法はその通りですね

個別の用法について詳しく扱うのはまた今度にするとして、「ジェルンディオ」という用語について検討するのはこの形が何者なのかを知る上でなかなか役立ちそうな気がします。

まず一般的なところで、ジェルンディオというのは動詞の不定法(modi non finiti)の一つで、-andoとか-endoをつけて得られる形のことですね。その主な用法は従属節を作るもので、主節(の動詞)に対してかなり様々な用法を持つことができます。今回のmiscelandoとlavorandoは、手段を表すジェルンディオ節という感じでしょうか。ジェルディオにはもう一つ、今回のstanno tentandoのようにいわゆる迂言法(perifrasi verbale)を形作る用法がありますが、これは要するにstareを中心とした主節を修飾していたジェルンディオ節が現在進行形という時制として定着したもので、従属節を作る用法の発展形ですね。

 

先祖はラテン語のgerundium

ジェルンディオの歴史を簡単に振り返ってみると、この形はラテン語のgerundiumと呼ばれる形から来ています。gerundiumは「動名詞」とも呼ばれて、その名の通り「〜すること」という名詞として扱われるのが特徴です。もうこの時点でわかると思うのですが、イタリア語のジェルンディオは元となったラテン語のジェルンディオと同じ形をしているくせに、まるで用法が違うのです。なんでこんなことになってしまったのかと言うと、形や用法の似ていた「動形容詞」や「現在分詞」と混ざりあったからだと言われています。概ね、これらの形が混同されながら名詞・形容詞・副詞に使われるカオスな時代を経たのち、現在分詞が形容詞・動形容詞を吸収したジェルンディオが副詞・名詞は不定詞という「再分業」がなされて現在に至る、ということのようです。直接の先祖であるgerundiumと用法がまるで違うのは、この再分業のせいなんですね。

 

そもそもgerundiumってどういう意味?

次に、そもそもgerundiumってどういう意味なんでしょうか。この語は「(行為を)なす」だとか「行う」みたいな意味の動詞gerĕreから来ていて、元々はmŏdus gerŭndis、すなわち「なされるべきことを表す叙法」ということのようです。この義務のニュアンスは今でもごく一部の表現には残っていて、たとえばagenda「手帳」は「da agire=すべきこと」という意味だし、faccenda「用件」も同様に「da fare=なすべきこと」ですね。

さて、こうして見てみると「ジェルンディオ」という用語はもはやラテン語でgerundiumと呼ばれていた動詞の形に由来しているということしか表しておらず、形態に言及した用語であると言えそうです。イタリア語でgerundioと言う時にこの事実が特に問題にならないのは、そもそも現代のイタリア語話者にとってgerundioという語がmŏdus gerŭndisなんていう専門家しか知らないような用語と結びつかないからですね。現代イタリア語話者にとって、gerundioは動詞のいち形態を指すものとしてしか認識されません。こうした状態のことを、語源が話者にとって不透明(opaco)であると言ったりします。

 

ではなぜ日本で「ジェルンディオ」という用語が定着しているのか

一方で、日本語での用語を決めるのであれば事情が違います。ラテン語のgerundiumに由来しているからといって、ジェルンディオを「動名詞」と呼ぶわけにはいきませんよね。これは要するに「動名詞」というのが機能に言及した用語であることが我々日本語話者には明らかだからで、その機能はラテン語からイタリア語への変化に伴って完全になくなってしまったからですね。実は現代イタリア語におけるジェルンディオの機能はどちらかといえばラテン語の現在分詞が担っていたものなのですが、じゃあ「現在分詞」と呼べばいいかと言うと(ちなみにスペイン語ではそうしているようです)、イタリア語には現在分詞(participio presente)も別に存在しているので、これもダメですね。そこで、昔のイタリア語学者たちは二進も三進も行かなくなり、「まあこれでいいっしょ!」となってそのままカタカナで「ジェルンディオ」としたのでしょう(妄想です)。ともあれ、「ジェルンディオ」という用語が浮いて見えるのは事実ですが、その裏にはこのようにかなり複雑な問題があるのですね。イタリア語学の文脈でしか使われないような用語を捻り出してくるよりも、素直にそのままカタカナにしてくれたのはむしろ英断だったのかもしれません。

今回の参考文献
Baratella, Martina. 2016. Ragionando Sul Gerundio Con I Bambini Della Scuola Primaria, Tesi di Laurea, Università degli Studi di Padova.

[+α]イタリアのヴィーガン事情

今回の記事が扱うテーマの一つは肉食に伴って生じる環境・倫理上の問題ですね。イタリアではレストランのメニューを眺めていると、ヴィーガンも食べられるものに若葉マークなんかの記号がつけられていることがしばしばあります。日本に比べれば店選びも楽なのかなという印象です。これって別にヴィーガンでなくても、「今日は肉はやめとこう」みたいな時にも便利だったりするんですよね。ピザやパニーニなんかはヴィーガンメニューにしやすいし、イタリア旅行がまたできる日が来たらチャレンジしてみるのもいいですね。(土肥)

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