今回はNo Vax(ワクチン反対)絡みのネタです。取り上げるのは、Corriere della Seraの記者が、哲学者のジャンニ・ヴァッティモ氏に行ったインタビューの書き起こし。たぶん当ブログでダイアローグを取り上げるのは初めてだと思います。
このインタビューの前提を少しだけ整理しておくと、まさに土肥くんがTwitterでもリポートしてくれているように、イタリアでは現在、あらゆる場所に立ち入る際に「グリーンパス」(ワクチンパスポート)の提示を求められます。ワクチン接種済みの証明書ですね。当然、ワクチン反対派はこの動きに反発します。そして一部の反対派がデモで暴徒化し、これが社会的に問題視されています。ヴァッティモ氏は「ワクチン接種を強制すべきでない」という立場を取っているので、記者は「そうしたあなた(たち)の態度や発言が反対運動を過激化させたのではないか」という疑問を投げかけているわけです(補足しておくと、ヴァッティモ氏はインタビュー内でいかなる暴力行為も認めない立場であること、また本人はワクチンを接種したこと、そして受けるべきだとも思っていると明言しています)。
以下引用です。« »で括られているのがヴァッティモ氏の発言です。
Eppure lei ha dichiarato pubblicamente che il vaccino non avrebbe mai dovuto essere obbligatorio. Le sembra di aver gettato benzina sul fuoco?
«Macché».Perché dice così?
«Non credo che le mie dichiarazioni possono aver raggiunto tante persone».Non crede?
«Ma certo è un dibattito che si è svolto tra quattro gatti. Le mie dichiarazioni le avranno lette soltanto un gruppetto di intellettuali».(Corriere della Sera, 02 settembre 2021)
しかしあなたはワクチンは義務化されるべきではなかったと公言されましたよね。それが火に油を注いでしまったとは思いませんか。
「全く思いません」なぜでしょう。
「私の発言が多くの人の元に届いたとは思いません」思わない?
「だってたかだか数人の間でやっていた議論に過ぎません。私の発言を読んだのは少数のインテリ層だけでしょう」
イタリア語では通常の語順はSVO(Soggetto主語>Verbo動詞>Oggetto目的語)とされているので、目的語が動詞より前に出てきて主語が後ろに回っている今回の文の語順は、何か普通とは違うことをやっているんだなという感じがしますよね。「通常」というのは、大雑把に言うと特に他に理由がなければこうなるデフォルトのケースであるということで、このことを言語学では「無標」non marcatoと言うんでしたね(第1回でも触れました)。
「無標」の語順
さて、まず「無標の語順」ってなんだろうということから考えてみたいと思います。というのも、どんな語順が無標なのかというのは見方によって変わりますよね。文の統語構造という観点から見ると、第23回で見たようにイタリア語の文は通常、主語になる名詞句と動詞句からできているんでしたね。これらは名詞句>動詞の順番で並ぶので、SVOが無標の語順なわけです。
一方、語順というのは文の解釈とも関わってきます。どんな解釈が無標なのかというのはそれ自体が自明でない問題ですが、ここでは「より多くの文脈で言うことのできる語順」が無標なのだと思っておくことにします。特に、Che cosa è successo?「何が起きたの?」という疑問文に答える形で言うことのできる文が、しばしば解釈の観点から無標の語順であると言われます。
ちなみに、こうして二つの観点を切り分けてみると、統語構造の観点から見て無標でない(すなわち有標marcatoの)語順が、解釈としては無標であることがあります。典型的な例は、第17回を皮切りにシリーズで扱った非対格構文ですね。非対格動詞を使った文ではしばしば主語が動詞より後に来ていて、統語構造の点から見ると有標の語順をとります(È arrivata Maria.)が、そうした文は全く問題なくChe cosa è successo?に答える形で言うことができます。
非対格動詞のことはともかく、今回の文はどちらの観点から見ても有標ですね。OVSという語順になっているだけでなく、この文をChe cosa è successo?という疑問文に答える形で言うと違和感があります。有標であるということは、要するにこの語順にしたい特別の理由があるということですね。
「左方転位」による主題化
その理由はタイトルに書いてある通り、目的語であるle mie dichiarazioni「私の発言」を主題にしたいからですね。主題にするというのは、まず「これから、この要素に関わる話をしてますよ」と言ってから、「これに関してはこうである」というコメントをするという構成で文を作っているということです。このように、ある要素を文頭に出してくることを、左方転位(dislocazione a sinistra)と言うことがあります。主題になっている要素の果たす役割やその振る舞いについてはさまざまな種類があって、色々な分類が試みられてきました。主題化(topicalizzazione)や左方転位といった現象はロマンス語学の枠組みでも今なお議論の続く、メジャーなトピックの一つですね。
こうした研究の全てを紹介するのは完全に僕の手に余るので、ここでは左方転位によって主題化するということが文の情報構造に関連するということについてだけ簡単に見てみたいと思います。第58回でも簡単に触れた通り、文の中の情報というのは既知の要素(dato)と新しい要素(nuovo)に分かれるんでしたね。人称代名詞の使い分けや、他には定冠詞と不定冠詞の使い分けにもこうした区別が影響してくるということからわかるように、一般的にいって、話し手は常に何が聞き手にとって既知で、何が新しいのかを(だいたい、無意識のうちに)区別して話しています。これは別にイタリア語の特徴というわけではなくて、日本語のネイティブが日本語で話すときもそうですね。
イタリア語では、既知の要素が前に、新しい要素が後ろにくるのが一般的な傾向です。要するに、既知要素>新要素の語順が無標なのですね。主題というのは、既知の要素です。今回の文でいえば、「私の発言」は最初から一貫してこのインタビューのまさに「主題」になっている情報で、明らかに聞き手が既に知っていることですよね。こうして考えると、今回の文は統語構造の観点からも解釈の観点からも有標ですが、情報構造という観点から見れば無標です。今回のように直接目的語が主題化されている文というのは、情報構造の観点から自然な文を作るために、統語構造としては有標な文を作り出しているケースであると言えそうですね。
【+α】イタリアの反ワクチン
反ワクチン派というのは日本と同様にイタリアにも存在していて、no vaxと呼ばれます(これ全体で一つの名詞または形容詞として扱われます)。ちなみに、反ワクチンパスポートはno green passと呼ばれますね。green pass「グリーンパス」というのはワクチン接種証明のことです。イタリアはグリーンパスが必須な場所をどんどん広げようとしていて、10月15日にはあらゆる職場に入るために必須になる見通しです。ワクチン接種を拒む人は働くことができなくなるわけで、実質的なワクチン義務化ですね。ちなみに、ワクチン接種していないことを理由にした解雇は違法ですが、職場に入れないことを理由にした給料の不払いは合法のようです。
このインタビュー(と、それに先立つヴァッティモ教授の思索)は、こうしたイタリアの状況を背景にしているわけですね。「ワクチンを打ちたくない人たちも直ちに社会生活から排除されるべきでない」という主張は妥当なものだと個人的には思うのですが、今のイタリアで人気のある意見というわけではないようです(土肥)