Grammatica+  上級へのイタリア語

[第59回]tipo「~みたいな」/現代の若者たちへ「ねえ、何でもないふりするのやめなよ」②

前回の続きです。イタリアの若者たちが置かれている(苦しい)状況についてのエッセイを読んでいたわけですが、書き手のディステファノさんは、「そもそも若者たちとそうでない者たちの間に分断がある」という言説そのものを批判的に見ています。

Nel nostro Paese non c’è nemmeno accordo su cosa sia un giovane, te ne accorgi guardando un qualsiasi telegiornale sportivo, ad esempio, dove considerano giovane qualsiasi giocatore sotto i 30 anni. In tanti Paesi, almeno a livello calcistico, sei considerato giovane solo sotto i 20. Il nostro è il Paese degli “eterni giovani’’. Ma anche dei “vecchi all’improvviso’’. L’altro errore enorme che si commette spesso, difatti, è quello di considerare il mondo come diviso tra giovani e non giovani, come fosse una dicotomia senza soluzione di continuità. E così da un giorno all’altro, per la nostra società, passi dall’essere troppo giovane all’essere già vecchio. Che l’opinione pubblica veda il mondo come diviso tra giovani e non giovani lo abbiamo visto anche con il Covid, con i media e l’opinione pubblica che hanno iniziato a proferire sentenze del tipo «per colpa dei giovani rischiamo una nuova ondata», oppure «i giovani non vogliono vaccinarsi perché non avvertono il problema» e tante altre narrazioni che hanno caratterizzato questo particolare anno e mezzo.

Corriere della Sera, 7 settembre 2021)

この国にはそもそも若者とは何を指すのかという合意すらなく、それは、例えば、どのスポーツ番組を見ても気づくことで、30代以下ならほとんどどの選手も若手ということになっている。多くの国では、少なくともサッカーに関する限り、若いと見なされるのは20歳未満の者だけだ。僕たちの国は「永遠の若者たち」の国なのだ。と同時に、「いきなり老いる者たち」の国でもある。もう1つの大きな誤りは、実際、この世界を、まるでそれが終わることのない対立であるかのように、若者と若くない者との間で分断されているものと見てしまうことなのである。こうしてある日、僕らの社会では、あまりに若すぎるという状態から、すでに老いぼれた状態へと変わってしまうわけだ。世界を若者とそうでない者との間で分断されていると世間一般に思われているということ、これはこのコロナ禍でも各種メディアや世論で目にしたことで、それらは例えば「若者たちのせいで新たな流行の波がやってきかねない」とか「若者たちがワクチン接種を望まないのは問題を理解していないからだ」といった文章やその他のストーリーを話し出すようになり、この1年と半年はそれらによって特徴づけられている。

こんだけ長く引用して「いったい何事!?」と思われそうですが、土肥くんに聞いてみたいのはtipo1語です。ここでのtipoって英語のlikeとかsuch asの意味に該当するやつですよね?

 

話し言葉の象徴みたいな語ですよね

今回の文のtipoはまだギリギリ「〜というタイプの」という意味で名詞として使われている気もしますが、こうして名詞の直後にいきなり別の文が来るみたいなことはイタリア語では珍しく、やっぱり不思議なことをしているなという印象ですね。イタリア語で日常的に会話をする方はだいたい気付いていると思うのですが、この語はまさに英語のlikeと同様、とにかく頻繁に出てくるんですよね。ネイティブスピーカーに調子を合わせてそれらしく喋りたい時には便利ですが、使いすぎるとあんまり理知的でない喋り方に聞こえる危険性もあります。非ネイティブにはなかなか厄介な語ですね。

今回の文に出てくるような引用符つきの文というのは要するに名詞なので、今回の文においてtipoが持つ特徴は名詞であるにもかかわらず直後に別の名詞が来ていて、その名詞を何かしらの形で修飾しているという点にありそうですね。イタリア語では英語なんかと違って二つの名詞が直接並ぶというのはかなり限られたケースなので、やっぱりtipoは特別なことをしていると言えそうです。こうした使い方は、「種類」とか「タイプ」みたいな語彙がしばしば持つもので、要するにdel tipo di「〜というタイプの」みたいな表現から派生して「〜的な、〜のような」という一般的な類似性を表すようになったという説があります。同じような語に、英語のsortやkind、フランス語のgenreなんかがありますね。

 

tipoに「大した意味はない」というのは間違い

さて、上にも書いたようにtipoといえばとにかくバンバン話し言葉で出てきて、今回の文のように名詞が後に続くだけでなくどんな要素でも後にくることができますよね。大学生同士の会話を記録したKIParla(https://kiparla.it/)というコーパス(言語データバンク)から、次の発言を見てみましょう。

quindi io tipo all’inizio ero tipo cosa mi stai dicen cosa vuoi cioè’ io ero tipo in panico poi dopo

だからなんか最初は『何なん、何言ってんだ』って感じで、パニックみたいな、でもその後…

こういう特徴から、この語は「イタリア語の乱れ」の象徴のように思われているふしがあります。「大した意味もないのに乱用されている」というわけですね。といっても、この語にはコミュニケーション上の意味がきちんとあります。具体的には、tipoは続く要素を文字通りに受け取らないように要求するのですね。このことを確認するために、この例文にもあるio ero tipo in panicoという表現について考えてみます。

tipoなしのio ero in panicoと話し手が言ったとき、この文を文字通りに受け取った聞き手はおそらく、パニック状態にある人の一般的な振る舞いについての自身の知識に基づいて話し手の当時の状態を解釈しますよね。その解釈の結果には例えば、「話し手はその時、声も出せない状態だったのであろう」とか「話し手はその場から逃げ出したかもしれない」みたいな結論が含まれているかもしれません。一方、tipoの入った実際の上の文を聞いた聞き手は、この「パニック状態」というのが文字通りの意味でないという明示的な指示を受け取っています。その結果として、またもちろん「tipoを使うような会話は一般にカジュアルな会話である」「カジュアルな会話では、人は多少オーバーな表現をすることがある」みたいな一般的な知識も前提にして、この聞き手はおそらく「話し手は多少面食らった」くらいの理解をしますよね。

 

もちろん、tipoがあろうとあるまいと、文字通りの解釈をするかどうかは常に文脈や状況によります。この例文では、そもそも学生同士の会話であることや話し手と聞き手が(おそらく)知り合いであることを前提に、tipoなしでも聞き手がほとんど同じ結論に至る可能性も十分あります。でもそれは、tipoという語に意味がないからではありませんよね。我々が文脈・状況を背景に相手の言っていることの意味を調整・解釈する能力というのは自分で思っている以上に高く、そのおかげでこういう解釈の微調整をする語というのは結果としていらなかったということがありえるだけなのです。その場合でも、明示的に文字通りでない解釈をすることを示してくれるtipoのような語は、解釈にかかる労力を減らしてくれる点に価値があると言うこともできそうですね。

第50回でも触れた通り、一般に我々が言葉を使ってコミュニケーションをする時、単に文に直接書いてある情報を伝える(すなわち、第57回でも扱った命題proposizioneを伝達する)ことだけが目的である場合というのはむしろレアケースですよね。だいたいの場合、我々の目的は上の例で言う「話し手は面食らった」みたいな、聞き手にある種の結論を引き出してもらうために言葉を使います。tipoは、最終的に得られるこの結論に大きな影響を持っています。こうして見ると、「大した意味がない」というのは大きな間違いですね。まあ、「乱用されている」はその通りという気がしないでもないですが…。

 

今回の参考文献

Marano, Luca. 2013. “Le Strutture Con Tipo: Uno Studio Di Alcune Configurazioni Dell’italiano Parlato.” The Italianist 33 (3): 464–83.

Mihatsch, Wiltrud. 2007. “The Construction of Vagueness. ‘Sort Of’ Expressions in Romance Languages.” In Aspects of Meaning Construction, edited by Günter Radden, Klaus-Michael Köpcke, Thomas Berg, and Peter Siemund, 225–46. Amsterdam/Philadelphia: John Benjamins.

 

【+α】イタリアの世代間対立

今回の記事が言うように、コロナ禍に関連してイタリアでは(おそらく、日本と同様に)若者の無責任な行動によって感染が拡大しているという言説が頻繁に出回った印象です。このことを象徴する語の一つに、movida「ナイトライフ」というものがありますね。この言葉はスペイン語から借りてきた語(第1回で扱った、借用語prestitoですね)なのですが、1990年前後にイタリアに入ってきた言葉で、コロナ禍以前に日常生活で目にするような単語ではありませんでした。

要するに、大昔の語彙が「若者が夜遊びをやめないからコロナが収束しない」みたいな文脈で唐突に使われるようになったわけですね。そもそも自分たちのせいなの?という不満と共に、この古臭い語のリバイバルは若者たちに結構なインパクトを与えた印象です。これが翻って「老人たちは何もわかってない」みたいな意見につながって、さらに世代間対立を加速させているわけですね。やっぱり、日本とイタリアって似てるなと思います。(土肥)

 

 

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