Grammatica+  上級へのイタリア語

[第64回]倒置コピュラ構文/「Dylan Dog」創刊35周年

今回はイタリアの人気長寿コミックシリーズ「ディラン・ドッグ」が35周年を迎えた、というエッセイ風の記事から。

[…] l’orrore è dentro di noi, nelle cose quotidiane, nella normalità di tutti i giorni, nelle ossessioni del consumismo contemporaneo. I mostri siamo noi.

Il Giornale, 1 Ottobre 2021)

恐怖は私たちの内にあるのだ。日常の物事、日々の生活で当たり前になっていること、現代の消費主義の強迫観念の内に。怪物は、私たちなのである。

 

マーカー部分ですが、I mostriを主語と考えると、I mostri sono noi.となりそうですが、ここではそうなっていませんね。〈CVS〉という語順になっている、と考えられるのでしょうか

 

コピュラ文のバリエーションですね

essereを使った「コピュラ文」を扱うのは、第28回および第37回以来ですね。このうち第28回でも指摘したように、essereの性質はかなり独特で、今なお盛んに研究されている動詞の一つであると言って良いと思います。今回は、第28回では扱わなかった内容まで踏み込んでみたいと思います。

とりあえず今回の文を見てみると、essereがつなぐ主語(noi)と補語(i mostri)がどちらも名詞句で、動詞より前に出てくる方ではなく動詞の後に出てくる方が主語になっている、すなわち動詞と一致していることがその特徴ですね。こうした構文には、「倒置コピュラ構文」inverse copular constructionという何やらカッコいい名称もついています。用語が英語なのは、例によってこうした構文については英語で議論されるのが常だからですね。

倒置コピュラ構文がどんな特徴を持っているのか検討するにあたってまずわかっておきたいのは、第37回でも触れたように、イタリア語の文というのは主語ー述部という意味構造を持っているということです。これは要するに、大雑把にいって文はある要素(主語)に対して言及する形で何かしらの主張なり描写なりをしているということでしたね。今回の文で言えば、主語であるnoiに対して言及する形で「怪物である」という述部が提示されているわけです。

こうしたコピュラ文を第37回でみたPiero legge un libro.のような一般的な他動詞を使った文と比べてみると、どちらも名詞句1ー動詞ー名詞句2という構成をしているにもかかわらず、名詞句1と名詞句2が果たす役割に関して微妙に違う性質を持っていることがわかります。というのも、名詞句1と名詞句2を入れ替えてUn libro legge Piero.という(かなり変な)文を作ってみると、主語ー述部の意味構造も変化しますよね。一般的な他動詞を使った構文では、動詞の前にある名詞句は主語としか解釈できないし、後にくる名詞句は述部としてしか解釈できません。これに対してコピュラ文は、まさに今回の文のような倒置コピュラ文として、前にくる名詞句を述部、後にくる名詞句を主語として解釈できて、essereも後にくる名詞句にあわせて活用していますよね。

テクニカルな議論を省くと、こうした特徴はessereを使ったコピュラ文が、第19回のsembrareや第37回繋合動詞verbi copulativiと同様に、小節frase ridottaを伴うものであることに関連していると言われています。要するに、名詞句1と名詞句2の間に動詞によって表現されない主語ー述部の関係が成立している次のAのような構造をしているものが、実際に文として出てくる時には名詞句1が繰り上げられたBまたは名詞句2が繰り上げられたCのどちらかに(義務的に)変化しているということですね。繰り上げについては、sembrareを扱った第19回で出てきました。Bの文は、第28回でも出てきた指定文ですね。ポイントは、essereはBとCのどちらの文でも最初の構造Aにおいて小節の主語であるnoiと一致することです。

A [ [動詞句 essere [名詞句1 noi] [名詞句2 i mostri]]] →

B [ [名詞句1 Noi] [動詞句 siamo [名詞句2 i mostri]]

C [ [名詞句2 I mostri] [動詞句 siamo [名詞句1 noi]]]

ところで、BとCの文は微妙に意味が違うような気がしますよね。どちらの場合でも主語ー述部の意味構造が変わらないなら、二つの文の違いはどこにあるんでしょうか。これは、第60回で扱った文の情報構造が関わっているように思います。今回の文の文脈を考えてみると、i mostriは一貫して記事自体の主題になっている内容の一部で、既知の要素ですね。これに対して、noiは新しい要素です。イタリア語では、既知>未知の順番で情報が提示されるのが無標の順番なんでしたね。今回の文は、統語構造と意味構造の観点からみると有標ですが、情報構造の観点からは無標の文なのですね。

 

今回の参考文献

Moro, Andrea. 1997. The Raising of Predicates: Predicative Noun Phrases and the Theory of Clause Structure. Cambridge University Press.

 

 

[+α]そもそもDylan Dogとは?

正直な話、私(田中)は土肥くんにこの記事を紹介してもらうまでDylan Dogの名を聞いたことすらありませんでした。

1986年に創刊されたこのコミックシリーズは、ティツィアーノ・スクラヴィ(Tiziano Sclavi)という作家が創造し、Sergio Bonelli Editoreが出版してきたもので、現在も新作が出ている現役の作品です。ディラン・ドッグというのは怪奇現象を専門に扱う私立探偵で、住まいはロンドン。イギリス人という設定です。ある記事では「ディラン・ドッグは世界で唯一の『悪夢の捜査官』」(Dylan Dog è l’unico “Indagatore dell’Incubo” del mondo.)であり、同シリーズは「洗練されたホラー・コメディー」(sophisticated horror comedy)と形容していました。

ところで、てっきりこのスクラヴィという人が漫画も描いているのかと思いきや、漫画を描いているのは別の作家で、それも時代を追うごとにどんどん描き手が変わっているんですよね。ストーリーの作成も、ごく初期を除けば、別の作家が担当しているようです。

内容的にも絵の雰囲気的にも私の好みだったので、さっそくネット上で入手しようと思ったのですが、日本では入手が非常に困難でびっくり。メルカリでようやくそれっぽいのを見つけて一冊買いました(まっとうな価格で買えました)。読むのが楽しみです。(田中)

[+α]の参考記事:Fumetti, chi è Dylan Dog e perchè è un fenomeno

 

 

アイキャッチ画像:Nicholas Gemini / Wikimedia Commons

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