前回このブログでは補助動詞を取り上げましたが、今回もそれに関連するテーマです。
酷暑が続いているのは日本だけでなくイタリアもですが、今日ピックアップする記事では、気候変動の責任を誰が負うべきか、という問い掛けから始まります。
Che la crisi ecoclimatica sia grave è ben noto. Che siano le “attività umane” a determinare l’accelerazione del surriscaldamento globale pare una formula troppo generica, che finisce per nascondere le effettive responsabilità delle multinazionali e in generale delle imprese più inquinanti,…
地球温暖化の危機が深刻だというのは周知の事実だ。地球温暖化を加速させているのは「人間活動」であるというのはあまりに曖昧な定型句のように思われ、結果として、多国籍企業や最もひどい汚染をもたらしている企業一般による、本当の責任を覆い隠すことにつながっている。
今回見ていくのは、このあとに続く以下の文です。
Bisogna avere il coraggio di dire apertamente che i primi che devono farsi carico di quello che sta capitando sono i grandi centri finanziari e le compagnie energetiche, ma anche i ricchi che comprano il detersivo “bio” e poi usano il jet privato per spostarsi.
(Il Fatto Quotidiano, 1 Agosto, 2023)
今まさに起きている事態の責任を真っ先に取るべきは、大手金融センターやエネルギー企業であり、さらには「バイオ」(=環境に配慮した)洗剤を購入していうにもかかわらず、プライベートジェットで飛び回っているような富裕層でもあると、勇気をもっておおやけに言う必要がある。
前回初登場ですが、けっこう面白い論点が出てくるんですよね。前回は用語の話だけで終わってしまったので、今回は補助動詞の性質にもうちょっと迫ってみたいと思います。というわけで、まず確認したいのは、補助動詞も今回出てきたbisognareも、複文(frase complessa)を作る動詞であるということです。
第42回でも述べたように、複文というのは、文の中心となる主節の動詞に関連して役割を持つ要素の一つが、それ自体動詞を中心としたまとまりでできているもののことで、もうちょっと平たく言えば従属節を伴う文ですね。従属節の中心となる動詞は定法のもの、すなわち人称だの数だのに応じて活用している場合と、まさに補助動詞やbisognareと一緒に現れる従属節がそうであるように不定法の場合があります。前者は、たとえば第34回で扱った関係代名詞に導かれる節が典型例ですね。ちなみに伝統的な文法だと定法の動詞を伴う従属節をproposizione esplicita、不定法のものをproposizione implicitaと呼ぶことがあります。
さて、定法の動詞を伴う従属節がいろんな要素に導かれるのと同様に、不定法の従属節も様々な要素に導かれて現れます。たとえば動詞credereの後にはdi+不定詞が現れるし、cominciareの後にはa+不定詞ですね。他にはdaとかperに導かれることもあります。で、ようやく補助動詞に戻りますが、不定法の従属節の場合には導入する要素なしでいきなりポンと置かれることがあるんですね。定法の従属節では補文標識が削除されている場合(第51回)を除けば、こういうことはないですよね。これは不定法の従属節が持つ特徴の一つと言ってもよさそうですね。
同じように導入する要素を伴わずに不定法の従属節が現れるものに、第42回で扱った使役動詞や第52回の知覚動詞があります。これらの動詞は、「使役構文」と呼ばれる構文をとれることが特徴でしたね。使役構文というのはどういう構文だったかというと、主節の動詞+不定詞の動詞がひとかたまりの動詞であるかのように振る舞う構文のことでした。
結論からいえば、補助動詞はこうした、複文なのに単文っぽく振る舞うひとかたまりの動詞を作ります。こういうひとかたまりの動詞のことを動詞複合体(comlesso verbale)と言ったりします。これに対して、bisognareを含むその他の動詞はこの特徴を持たず、あくまでも主節の要素の一つが動詞に表される構造にとどまっているのですね。
このことがもたらす違いのうち、もっとも有名なものが接語形代名詞(第41回)の振る舞いです。補助動詞volereと動詞preferireを使った、次の文を見てみます。
Piero vuole darli a Maria.
Piero li vuole dare a Maria.
「ピエロはマリアにそれをあげたい。」
Piero preferisce darli a Maria.
*Piero li preferisce dare a Maria.
「ピエロはマリアにそれをあげることを好む。」(*は言えない文です)
これらの文をみるとわかるように、補助動詞volere+不定詞の組み合わせでは、単体の動詞と同じように接語形代名詞が前に出てくることができます。これに対して、preferire+不定詞では同じことができないのですね。これは、voler dareが一つの動詞と同じように振る舞うのに対して、preferireはあくまでも動詞でできた直接目的語をとっていると考えるとすっきり説明できるわけです。
ちなみに面白いことに、むしろ前置詞+不定詞の従属節をとる動詞が補助動詞と似たような振る舞いをすることがあります。たとえばandare a+不定詞は、接語形代名詞を前に伴うことができます。料理動画なんかでは、次のような表現をよく聞きますね。
La vado ad aggiungere in padella.
(それを)フライパンに入れます。
こうしてみると、不定法の従属節は見た目のシンプルさに反してかなり多様な現象ですね。共通するものが見えてきそうで見えてこない、かと思いきや意外なところで共通点が見つかったりします。このブログでも散発的には扱ってきたわけですが、こうして(ある程度)まとめて見てみるとまた新しい発見があるのも、体系としての文法の面白さという感じがします。
【+α】なんでもかんでもbio
メインのトピックとは関係ないのですが、今回の文でも出てきたbioというのはイタリアのスーパーなんかで買い物をしているとやたらと目に入ってくる単語です。言葉としてはbiologicoの略で、要するに「化学物質を使っていない」とか「環境に配慮した」くらいの意味ですね。去年と今年の二年にわたって経験したことのないレベルの酷暑に見舞われたイタリアでは日本に劣らず気候変動への関心が高まっていて、それに伴ってbio的なものも注目度が上がっている感があります。
一方では、食品だけでなく今回の文に出てくるような洗剤とか、他には食器だとかガソリンにもbioを売りにしているものがあったりして、ちょっと言葉自体が乱用されている感じもあります。本質が伴っているのかよくわからないし、基本的にはbioとついているだけでちょっと高くなるんですよね。またイタリアでも日本と同じで気候変動に関する話題は冷笑的な反応を引き起こしやすく、さらに食品に関してはベジタリアンとかヴィーガンとイメージがかぶっていて、そこでも敵対的な感想を持つ人がいる印象です。簡単に言えば、「意識高い系金持ちの道楽」の象徴みたいな語という側面があるわけですね。今回の文に出てくるカッコつきの”bio”は、そういう背景情報を知っているとニュアンスが掴みやすくなるかもしれません。(土肥)
●引用元記事:Caldo record, aumenta la mortalità. Ma la colpa è anche dei tagli al sistema sanitario nazionale
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