EU内で、移民に市民権を付与した数で、イタリアがドイツに次ぐ第2の国となったというニュース。今回は2カ所引用しています。マーカーを付けた動詞、risultaとsono rimastiに注目です。
L’Italia risulta sopra la media Ue per il tasso di naturalizzazione 2,54% rispetto al 2%. Il tasso di naturalizzazione è il rapporto tra il numero di persone che hanno acquisito la cittadinanza di un paese nell’arco di un anno rispetto al totale di stranieri residenti nello stesso Paese.
(AGI, 15 marzo 2021)
イタリアは市民権付与の割合が2.54%で、これはEUの平均である2%を上回る結果となっている。市民権付与の割合とは、ある国に住む外国人の合計に対する、1年間でその国の市民権を取得した人の数の比率のこと。
risultare: ~という結果になる/medio: 平均の/tasso: 率、割合/naturalizzazione: 市民権付与/rapporto: 比率、《広義》割合/nell’arco di un anno: 一年という期間で/rispetto al: ~と比べて
Rispetto al 2018, marocchini e albanesi sono rimasti i principali destinatari, mentre i britannici sono passati dal settimo al terzo posto.
(同上)
2018年と比べて、モロッコ人とアルバニア人が(市民権の)主たる被付与者であることに変わりはない一方、イギリス人は7番目から3番目となった。
destinatario: 受け手
どちらも何の変哲もない文のように見えますが・・・
この手の表現、イタリア語の文章を読んでいるとけっこう出くわしますよね。どちらの文でも、主語と補語になっている名詞や副詞は動詞によってつなげられていますね。こうした動詞のことを、「繋合動詞」verbi copulativiと言ったりします。今回はこのような動詞を使った文が第35回でも扱った小節(frase ridotta)の一種であるということを見てみたいと思います。
このことを理解するためにまず、文の意味構造(struttura semantica)というものを考えてみます。これまでも何度か言及しているように、文というのは動詞を中心として主語や補語といったものからできている統語構造(struttura sintattica)を持っていますよね。同時に、統語構造を反映した意味構造を持っています。次の文を考えてみましょう。
[主語 Piero] [動詞句/述部 legge un libro.] (Salvi & Vanelli 2004: 33)
ピエロは本を読んでいる。
統語構造の観点からみると、文というのは動詞句(legge以下)と普通はその外側にある主語(Piero)からできているんでしたね。一方で、意味のことを考えてみると、この文は「ピエロが本を読む」という出来事(evento)を描写しています。この出来事は一様なまとまりとして提示されているのではなくて、意味構造上の主語であるピエロに対して言及する形で「本を読んでいる」という事実を主張しています。意味構造上の主語は、文の表す出来事において特別な地位を与えられている要素なんですね。こうして考えると、たとえば受け身の文というのは意味構造上の主語(と、同時に統語構造上の主語)を別の要素に変える操作なわけです。イタリア語の文は、主語(soggetto)ー述部(predicato)という構造を持っているんですね。
普通は上の文のPieroのように、意味構造上の主語と統語構造上の主語は一致します。意味構造は統語構造を反映するのだから、当たり前といえば当たり前ですね。でも、たまにそうでない構造をとる動詞があります。第19回で扱ったsembrareは、その代表例です。Devoto-Oliからとってきた次の文では、文全体が意味構造上の主語を持たない述部だけで構成されていて、統語構造上の主語はcheから始まる従属節ですね。この従属節はさらに、それ自体が主語ー述部の意味構造を持っています。
[述部 Mi sembrava [統語構造上の主語 che [従属節の主語 il tuo amico [従属節の述部 fosse a disagio]]].
君の友達は居心地が悪いように見えた。
第19回でも扱ったように、sembrareを使った文では従属節の主語が主節の主語へと「繰り上げ」られることができるんでしたね。ここで今回の文に戻りますが、risultareやrimanereといった動詞でも同じことが起こるのです。要するに、次のAのような構造をしていたものが実際に出て来るBのような構造へと変化しているということですね。ここでポイントなのは、意味のことを考えてみると主語ー述部の関係にあるのはL’italiaとsopra la media Ueの間であって、統語構造上の主語であるL’italiaと動詞句risultare sopra…の間にではないということです。動詞risultareはあくまでも、意味構造上の主語を持たない述部を導入しています。
A [述部 risulta [従属節の主語 l’Italia] [従属節の述部 sopra la media Ue]] (…) →
B [意味構造・統語構造上の主語 L’Italia] risulta [意味構造上の述部 sopra la media Ue] (…).
第35回で見たように、小節というのは「動詞を使わない」というのが大きな特徴です。このことがどう今回の文と関係しているのかというと、主語(L’Italia)ー述部(sopra la media Ue)の関係が動詞を使わずに表現されているということですね。このことから、繋合動詞を使った構文は小節の一種であると考えられています。
[+α]『ぼくたちは幽霊じゃない』
イタリアにおける移民の話をする際、アルバニアを避けて通ることはできませんが、この国はわれわれ日本人からすると非常に遠い国だという感じがします。でもイタリアからすれば海を挟んだ隣国、例えるならば日本と韓国くらいの距離感の、ごく近くの国であるわけですよね。私がイタリアに滞在していた間にもアルバニア人は街のそこかしこで見かけましたが、そもそもなぜ彼らがアルバニア人であると見分けがつくようになったかと言うと、イタリア人が彼らのことを、ある種のトーンで”Albanesi”と呼んでいたからですね。もちろん、移民の受け入れはほとんど常に、どんな国においても、困難を伴うものであると思いますが。
『ぼくたちは幽霊じゃない』という本があります。職を得るためにアルバニアからイタリアに渡った父の元へ行くため、少年が母と妹とともにボートに乗ってイタリアへ渡り、困難に立ち向かいながらたくましく生きていくという児童文学です。岩波書店から出ているSTAMP BOOKSというシリーズの一冊で、多数のイタリア文学を翻訳している関口英子さんの翻訳です。原書(Viki che voleva andare a scuola)は2003年にイタリアで刊行され、この日本語版は2018年に出版されています。著者はイタリア人ジャーナリストのファブリツィオ・ガッティ(Fabrizio Gatti)。Corriere della Seraに連載された、アルバニア人少年の実体験の手記をベースにした小説であるようです。
私がここでこの本をピックアップしたのは、「岩波書店、いい仕事してるなあ」と思ったからです。イタリアに渡ったアルバニア人移民の物語を日本の若い世代の読み物として売るというのはかなり勇気のいる企画ですよね。ともすればマニアックな扱いになってしまいそうなのに、表紙や製本もポップでありながら品があり、いい本だなあとしみじみ感じ入ってしまいます(元出版社勤務の目線)。アルバニア移民がイタリアでどんな暮らしをしているのかを知るための最初の一冊におすすめです。(田中)
・引用元記事:L’Italia è seconda in Ue per numero di cittadinanze concesse
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