今回でGrammatica+も、はや第20回!
うれしいですね。読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます!
さて、2020年の競技中の事故で一時は意識不明に陥っていたイタリア人アスリート(元F1ドライバー)のアレックス・ザナルディが、どうやら周囲の人と意思疎通が図れるまで徐々に回復しつつあるというニュースを前回に引き続き取り上げます。以下に引用するのは看病に当たっている妻のManniさんのコメントです。
“Molti mi chiedono delle sue condizioni, è un amore commuovente. Ma io non posso ritrovarmi i giornalisti sotto casa, non posso parlare con tutti. Devo concentrarmi sulle cure, giorno per giorno”, ha detto Manni.
(Il Fatto Quotidiano, 14 Gennaio 2021)
※和訳は下に載せてあります。
正直、io non posso ritrovarmi i giornalisti sotto casaの部分は全体的に意味・ニュアンスが取れないんですよね。この辺りについて教えてもらいましょう。
とりあえず、再帰動詞の分類を扱った第10回のことを思い出しながらこのritrovarmiにおける再帰代名詞miの役割が何なのかを考えてみましょう。といっても、これは簡単です。第10回では、再帰動詞が本当に再帰しているものと実は再帰していない代名自動詞の二種類に分けられることを見たんでしたね。このうち、後者は自動詞なので当然、直接目的語を持ちません。今回の文を見てみると動詞ritrovarmiのすぐ後に直接目的語(i giornalisti)があるので、これは他動詞ですね。なので、本当に再帰しているタイプの再帰動詞のようです。同時に、直接目的語が他に存在するということは、再帰代名詞が直接目的語に相当するものでも相互的用法でもないですね。したがって消去法から、このritrovarmiのmiは間接目的語と主語が一致している「自分自身に」の用法であるようです。
……それがわかってもよくわからないですよね。思うに、この文がわかりづらいのって再帰動詞だけのせいではないです。間接目的語が持つ用法の多様さに原因がありそうですね。
間接目的語の「受益」の用法
このブログではこれまでに、文というのは動詞を中心として色々な要素が結びついてできているということと、どんな要素が出てくるかには動詞の性質が強く影響するということを見てきました。でも、考えてみれば文には動詞が要求する要素だけが出てくるわけではありません。他動詞mangiareを使った文が不完全な文とならないためには「食べる人=主語」と「食べられるもの=直接目的語」が必要なわけですが、mangiareを使った文には他の要素、たとえば「食べる場所」だとか「食べる時間」といったものも当然出てくることができますよね。動詞に要求される要素のことを中核的な要素(elementi nucleari)であると言ったりします。そうでないものは、非中核的な要素(elementi extranucleari)ですね。
なんでこの話をしたかというと、間接目的語(とくに、今回のように代名詞の形になっているもの)は、しばしば動詞に要求されていなくても現れるからですね。もう一度、今回の文を見てみましょう。簡略化のために、関係のある部分だけ取り出してみます。
Mi ritrovo i giornalisti sotto casa.
玄関先で記者たちに出会う。
ritrovareはそれ自体がけっこう色んな意味があって訳しづらいですが、とりあえず「出会う」としておきます。この動詞は意味からいって、「出会う人=主語=io」と「出会う相手=直接目的語=i giornalisti」を要求していますよね。間接目的語は動詞に要求されているわけではない、非中核的な要素なのです。こうした間接目的語の用法はそれ自体が複数あるのですが、最も典型的なものに受益(benefattivo)の用法があります。これは動詞が表す出来事に関連して、利益ないし不利益を被る人を表す用法ですね。この要素はふつう前置詞per「〜のために」を伴って現れますが、代名詞にしてみると間接目的語の形をとるので、間接目的語の一種ですね。例文を見ておきます。
Stira le camicie del papà per Maria. / Le stira le camicie del papà.
(Salvi & Vanelli 2004: 42)
マリアのために、パパのシャツにアイロンをかける。
受益を表す間接目的語は、特に再帰動詞の形で現れたとき、さらに抽象的に「主語の人物による出来事への強い関与」を表します。今回の文で言えば、主語となっている「私」が(不利益を被るという形で)ritrovareという出来事に強く関与していて、「出会う」というよりは「出くわす」というニュアンスになっているのですね。
ところで、この再帰代名詞の用法というのは動詞を中心とした構造の中で「自分自身」に当たるものを指し示すという役割がかなり薄まった上で、動詞が持っている意味との組み合わせで抽象的なニュアンス変化をもたらしているわけですよね。これって考えてみると典型的再帰動詞(「自分自身を」)よりもむしろ代名自動詞に近い感じもします。受益の再帰代名詞はかなり広く他動詞にくっつけることが可能で、イタリア語の話し言葉を特徴づける現象の一つです(mi mangio una pizzaとか、聞いたことがある人もいるかもしれませんね)。こうしてみると、「本当に再帰している再帰動詞」というのは知れば知るほど少数派なんですよね。そろそろ、「再帰動詞」という用語も見直す時期に来ているのかもしれません。
◆引用箇所の語句と訳
“Molti mi chiedono delle sue condizioni, è un amore commuovente. Ma io non posso ritrovarmi i giornalisti sotto casa, non posso parlare con tutti. Devo concentrarmi sulle cure, giorno per giorno”, ha detto Manni.
[語注]sotto casa: 玄関先で
「たくさんの方に夫の状態について聞かれます。皆さんのお気持ちに感動します。しかし私は玄関先でジャーナリストの方々に鉢合わせするといったことはご免ですし、全ての方とお話しすることもできません。日々、夫の看病に専念しなければならないのです」と(妻の)マンニは言った。
[+α]“不死鳥”ザナルディの壮絶な半生(後編)
前回の[+α]では、ザナルディがレーシング・アクシデントで両足を失ったにもかかわらず、カーレースに復帰した、というところまでお話ししました。2009年、カーレースから引退したザナルディは、活躍の場を「ハンドサイクル(ハンドバイク)」という競技へと移します。手でこぐ自転車の競技ですね。
彼はこの競技でも圧倒的な速さを発揮します。2000年代後半から2010年代初頭にかけて、国内外の大会で高い成績を収めると、2012年のロンドン・パラリンピックのイタリア代表選手に選出されます。彼はここで、個人競技で金メダル2個、チームリレーで銀メダル1個という輝かしい成績を残します。
のみならず、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでも(当時彼は50歳!)2つの金メダルと銀メダル1つを獲得します。
「不死鳥」(l’araba fenice)を体現する伝説的なパラリンピアンとなったザナルディですが、2020年、なんと再び悲劇が彼を襲います。国内でのハンドサイクル競技中にコースを外れてしまい、トラックにはねられてしまったのです。6月19日のことでした。
しかし、またもや彼が復活の兆しを見せている、というのが今回取り上げた記事なのです。彼の家族や全てのファンとともに“不死鳥ザナルディ”の回復を祈ります。(田中)
日本語で読める参考記事:不屈の闘士アレックス・ザナルディがイタリアで事故に遭遇、深刻な状態に…北米トップレースの元王者