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[第25回]部分冠詞/Gucciを巡る怪談と告白

今回はGucciの話の続きです。ここ数年、好調だった業績が2020年度になって停滞したのは、コロナ禍のせいだけではないかもしれない、という話でした。

Anche per questo, ha spiegato l’amministratore delegato di Kering François-Henri Pinault, «non ha senso» basarsi sull’ultimo trimestre «per tirare delle conclusioni a lungo termine su Gucci: sarebbe davvero sbagliato».

Il Post, 19 Febbraio 2021)

この(=Gucciがコレクション発表を年2回に減らした)こともあり、(Gucciの親会社)ケリングのフランソワ・アンリ・ピノーCEOは「Gucciについて長期的な結論を引き出すのに」第4四半期を根拠にするのは「意味がない」とし、それは「まず間違いなく的外れだろう」と説明した。

 

ここでピノーCEOが言っているのは

2020年度の第4四半期の数字が悪いというだけで、今後のGucciの将来が見通せるわけではない、ということですが、その内容はさておき、今回はマーカー部分のうちのdelle conclusioniのdelleについて取り上げたいのです。これは「部分冠詞」というものだったと思いますが、使いどころがいまいちわからないですね。どんなときに使うものなのですか?

 

ついに冠詞を扱うことになってしまった

今回の結論から先に言ってしまうと、部分冠詞というのは不定冠詞の複数形です。これがどういうことかを理解するためには、もちろん不定冠詞であるというのはどういうことかを知らなければいけませんね。で、不定冠詞というのは定冠詞がつかない名詞につくものなので、定冠詞というのがどういうものかを知る必要があります。このあたりは単純に難しいのであまり扱いたくないのですが、可能な限り簡単に、この最後の部分から見ていきたいと思います。

冠詞というのは名詞を修飾するもので、名詞句の一部をなしているわけですよね。名詞句において中心となっている名詞より前に現れる要素のことを、限定詞(determinante)と言います。冠詞というのは、典型的な限定詞の一つですね(ちなみに実はこの句の中心となっているのは限定詞で、名詞句ではなく限定詞句なのだとする分析もあるのですが、ここでは名詞が中心になっていると思っておくことにします)。冠詞がどういう風に名詞を修飾しているかというと、この名詞が定か不定か(すなわち、定性definitezza)を示しているわけです。

上でも述べたように定/不定というのは簡潔に説明できるようなものではないのでばっさり諦めて、これに関してはごく簡単かつ一般的な理解をしておくことにします。定冠詞のつく名詞というのは、たとえば典型的にはその会話の中ですでに出てきたものだとか物事の種類だとかいう理由で、聞き手がその指すものを特定・了解できる(と、話し手が思っている)名詞のことですね。不定冠詞のつく名詞というのはそうでない名詞、すなわち指しているものを聞き手が特定することを求められない名詞です。一応、例を見ておきます。

Stavo aspettando uno studente. Quando lo studente è arrivato, …
わたしはとある学生を待っていた。その学生が到着したとき、…

最初の文で初めて文脈の中に導入された名詞studenteには、不定冠詞がついています。これはつまり、この時点で聞き手はこの「学生」が指し示す対象を特定することを求められていないということですね。一方で次の文では同じ人物を指す同じ語studenteに定冠詞がついています。これは、聞き手が文脈の中からこの語が指し示す対象を特定できることを示しています。実際、聞き手はこの「学生」が話し手の待っていた人物であると特定できるわけですね。

さて、ようやく部分冠詞に戻ります。部分冠詞というのはあるまとまりの中の不特定の一部(すなわち、「部分」)を示す働きがあるのですが、今回のように複数形の名詞についている時は、実質的には不定冠詞の複数形として機能します。要するに、本来の不定冠詞(un, unaなど)は単数形で使われている名詞にしか使えないので、複数形で使われているものには部分冠詞を使うわけですね。今回の文でいえば、tirareの直接目的語になっているconclusioniが指し示す対象(「長期的な結論」)を、聞き手は特定することを求められていないのですね。

といっても、「部分冠詞は不定冠詞の複数形」と理解することにすると、不定冠詞が単数形でも使われるという事実を前にして困ってしまうんですよね。実際、前回もdello zuccheroという、単数形に部分冠詞がついたものが出てきましたね。といってもこれは簡単で、不定冠詞はいわゆる「数えられない名詞」にもつくことができないので、この場合にも部分冠詞が使われるのですね。数えられない名詞は単数形でしか使われないので、部分冠詞の単数形が現れるというわけです。これは部分冠詞の性質というより、数えられない名詞の性質ですね。

 

[+α]Gucciを巡る怪談と告白

大学時代、というとヘタするともう10年くらい前の話なんですが、Gucciの眼鏡を買ってしばらく使っていたことがあります。あ、全然イタリアとかじゃなくて、調布の眼鏡屋ですね。大学が府中にあったもので、調布は近いんですよ。後にも先にも、私(田中)が持っていた唯一のGucci製品がこれです。

貧乏学生だった私がなぜGucciの眼鏡を買うなんていう贅沢ができたのかっていうと、私は(そうですねえ前世で悪いことをしたんですかねえ)視力がかわいそうなほどに悪いので、眼鏡を作る際、それなりの出費はいつも覚悟しています。だからまあ数万円がお財布から旅立つことについては温かい目で見守ろうと思っていました。

そいで眼鏡をいろいろ物色していると、私の購入可能価格レンジに、のちに私が買うことになるGucciさんがいることを発見したんです。ダークブラウンの太めの柄にあまり太くない縁のフレームがエレガントな、そのブランドに恥じない素敵なデザインでした。私、物を買うときの選考時間が極端に短いことで知られていて、その時も一緒に見てくれていた店員さんに「へえーこれGucciなのに安いんですね。じゃあこれで」みたいな感じで即決した記憶があります。

そんで会計プロセスが開始されるわけなんですが、ふと、その眼鏡が置いてあった場所に、眼鏡に直接ついていたタグに表示されている値段とは明らかに異なる値段の札が置かれていることに気づいたんです。「異なる」っていうのはもちろん「高い」ということで、まあ、Gucciというブランド品にふさわしい、私の購入可能価格レンジを無慈悲に逸脱した価格がそこに表示されていた。で、私は言わなくてもいいことを言ってしまうことでも有名なので、「あれ、なんかこれ値段違いますね」みたいなことを言った。すると、会計作業を始めていた店員さんは、それを知っていた様子で「あ、ばれるといけませんから、言わないでくださいね」と言ったのです。これが私にとってホラーだったんですよ。しかも二重の意味で怖かった。

というのはまず、なぜ店側が損をするような間違いをなかったことにしてしまうのかが単純にわからない。こっちとしては「え、なんで? 営利追求しないの?」となりますよね。でも、もっと怖いのは、「ばれる」というのはもちろんその人の上司にばれたらマズいということだと思うんですけど、その上司っぽい人が、その声が聞こえるくらい近くに普通に座っていたんですよ! え? そこにいるじゃん!って。でもその上司っぽい人も何も言わない。もう訳が分からないので私も何も言わない。不当に安い値段を払って店を出ました。

で、眼鏡自体はすっごく良くて、何年も大事に使いました。それでも眼鏡にも寿命がある(私は毎日ずっとつけているので寿命がくるのが早いのかな)ので、いつしか眼鏡にはさよならしました。が、私の手元にはもう一つのGucci製品が残っていました。デカデカと「Gucci」と書かれた漆黒の眼鏡ケースです。ほら、ある眼鏡を使わなくなったからといってそのメガネケースまで捨てるのはもったいないですよね。大事にしたい、日本のmottainai文化!……まあ新しい眼鏡を買ったら自動的に新しい眼鏡ケースがついてくるんですけどね……

というわけで、普通の安い眼鏡をGucciのケースに入れて使っていたことをここに告白します。その汚れた心を粉砕するかの如く、眼鏡ケース特有の、あの強めのバネがきいてパカパカ開閉できる操作性にハマったうちの娘(2歳)の餌食となってもてあそばれ、ある日そのバネがぶっ壊されて使い物にならなくなったのであっさり捨てました。おしまい。(田中)

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