(2021/12/9改訂)
今回は前回の続きで、ジル・バイデンさん3回目(最終回)です。引用箇所は前回までと同じです。今回はその最後の1文を取り上げます。
La stessa Jill Biden, in diverse interviste, prima che il marito fosse eletto, ha sempre detto che avrebbe continuato a lavorare. “Insegnare non è quello che faccio. È quello che sono”, ha twittato lo scorso agosto prima di un discorso alla convention democratica.
(ANSA, 12 novembre 2020)
[訳]ジル・バイデン本人は、複数のインタビューで、夫が(大統領に)選出される前から、仕事は続けるつもりだと言っていた。「教えることは私が(ただ仕事として)やっていることではありません。私の生き方そのものなのです」と、彼女は民主党の党大会での演説に先立つ先の8月にツイートしていた。
twitterという英単語がtwittareという動詞になっている、ということはすぐにわかります。第1回で「名詞の外来語」については扱いましたが、ここでは英語がイタリア語の「動詞」として取り込まれています。外来語が動詞となった例としてはほかにどのようなものがあるのでしょうか。外来語が動詞になるときは必ず-are動詞になるのでしょうか。
今回はこの2点について、土肥くんに聞いてみます。
それくらい、イタリア語には(日本語もですね)外来語が溢れているということでもありますね。特に英語から入ってきた語については、日本でもイタリアでも「よりスマート」とか「オシャレ」みたいなイメージと「そもそも意味が通じない」とか「日本語・イタリア語本来の表現を」みたいな規範意識の間である種の綱引きをしながら使われるわけで、話者たちの言語意識に興味がある人にとっても面白いトピックですよね。ちなみに英語由来で動詞として使われて、かなりの程度定着しつつある語には例えばpost「(SNS等への)ポスト、投稿」から派生したpostare「ポストする、投稿する」がありますね。既に定着しきった感のある語といえば、monitor「モニター」からmonitorare「モニタリングする」とかでしょうか。どちらもare動詞ですね。
外来語と新語
さて、外来語が動詞になるときは必ずare動詞になるのかという質問についてですが、答えはsìです。このことを理解するためにはまず、外来語というのが新語(neologismo)の一種であることを認識する必要がありそうです。イタリア語に限らず、どの言語においても語彙というのは常に一定ではなく、新しい言葉が使われるようになったり、逆に使われなくなっていく言葉があったりするわけですよね。新語を作ることに関わる手段やメカニズムのことを総称して、formazione delle paroleと言います。新語の形成といえば、代表選手はやはり複合語(composizione)でしょうか。次のようなものですね。
capo「長」 + stazione「駅」 → capostazione「駅長」
こう考えてみると、外来語をとり入れるというのは、新語を作ってイタリア語の語彙を豊かにする手段の一つなのだと言えます。英語由来の語というとどちらかといえば批判の的になりがちですが、イタリア語はこれまでも、外来語を受け入れて語彙の幅を広げてきました。たとえば、grammaticaという語も元はギリシャ語です。前にも扱ったemojiみたいな語も、新語形成の結果だったわけですね。
新しい動詞の語尾は-areだけ
一方で、emojiのような名詞とtwittareのような動詞では事情が違います。イタリア語では、名詞の形についてはせいぜい最後が母音で終わることが多いという程度で特別な制限はありませんが、動詞についてはそうではありません。ある語を動詞として扱うためには、この語が特定の形をしていることが絶対に必要で、具体的には原形の語尾が-are/-ere (-rre)/-ireのどれかの形をしていなくてはいけません。たとえばamore「愛」という語をどうやっても動詞として用いることができないことからもわかるように、これは外来語とは関係なくイタリア語に存在しているルールです。そこで、ある名詞を元にして動詞を新しく作りたい場合にしばしば起こるのが単に-areを足して動詞にしてしまう、というものです。これって要するに、複合語と外来語のどちらともまた違う新語形成法の一つなんですよね。
promozione「宣伝・広告」 + -are → promozionare「宣伝する・広告を打つ」
こう見てみると、twittareのような語は外来語をイタリア語の中に引っ張ってきて、さらに-areを足して動詞にしてしまうという、新語形成の合わせ技の結果というわけですね。
ここまでくると冒頭の質問に戻ることができるのですが、「必ずare動詞になる」というのは名詞から動詞を作る際に適用される一般的なルールです。-areは名詞に対して自由につけてare動詞の数を増やすことができるのに対して、-ireや-ereはつけることができません。このことを、言語学では-areだけが「生産的」(produttivo)であると言います。上にも述べたように、これは外来語であるかどうかにかかわらず動詞を新しく作る時に必ず適用されるルールです。したがって、「外来語が動詞になる時は必ずare動詞になる」というのは事実なのですが、これはそもそも新しい動詞がare動詞しか生まれないことの結果であって、外来語の性質というわけではなさそうです。
【+α】「ドクター・バイデン」
今回は田中がジル・バイデン氏についてちょこっと紹介します。彼女は「精力的とはまさにこのこと!」というような人生を送っているのですが、今回取り上げたニュースに沿って彼女の「教師」という側面にスポットライトを当ててみると、まずこの人は大学で専攻した英語を教える英語教師であり、かつ情緒障害を持った子供に教える先生でもあります。実は、夫のジョー・バイデンは子供の頃から情緒障害の一種である吃音症(いわゆる「どもり」)のある人なんですよね。今でも自分の名前を言うのに苦労することもあるとか。
話をジルさんに戻して、ジョー・バイデンが初めて大統領選出馬に名乗りを上げた1988年、この時点で彼女はすでに、もしジョーが大統領になっても情緒障害の子を指導する教師は続けたいと明言していました。今から30年以上も前の話ですから、ファーストレディーがその職務に徹しないと表明するのはかなり勇気のいることだったでしょう。教職への情熱がすごいのはもちろん、この人は教師をしつつ3人の子供(うち2人はジョーの連れ子)を育て、かつ自身の勉学も続けます。’81年と’87年にそれぞれ修士号を、そして2007年には教育学の博士号を取得します。そのため、アメリカでは敬意を込めてDr. Bidenと呼ばれてるんですよね。しかもこの間に乳がん啓発のための非営利団体を自ら創立して……と、ちょっと常人のエネルギーでは人生がいくつあっても達成できそうにないというか、なんならこの人が大統領でもいいんじゃない?とさえ思えてくるのですが、もう書ききれないので今回はこのくらいにしておきましょう……って、うっかり書き忘れるところだった、この人の父方のルーツはイタリアにあるのです。ジルさんのフルネームはJill Tracy Jacobs Bidenですが、シチリア出身のひいおじいちゃんが姓をGiacoppo(もしくはGiacoppa)をJacobsに変えたそう。(田中)
[+α]の参照サイト:
http://kitsuonkaizen.com/joebiden/
https://en.wikipedia.org/wiki/Jill_Biden
[第1回]”Ma che vuoi?”のemoji①/外来語の「性」
[第5回]ジル・バイデン、初の「仕事を続けるファーストレディーに」①/接続法
[第6回]ジル・バイデン②/時制の一致ジル・バイデン、初の「仕事を続けるファーストレディーに」①/接続法
[元記事]Jill Biden sarà la prima First Lady a continuare a lavorare