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混迷のイラクを文学から読み解く(1/2)『バグダードのフランケンシュタイン』

最近は仕事関連の本やレシピ本ばかりであまり文学にふれていなかった。そこで、この1月半ば久しぶりに読んだのが長編小説『バグダードのフランケンシュタイン』(アフマド・サアダーウィー著、柳谷あゆみ訳、集英社、2020年)である。

『バグダードのフランケンシュタイン』

著者のアフマド・サアダーウィーはイラクの首都バグダード生まれの作家。詩人、脚本家、ジャーナリストとしての顔も持つ。2009年に39歳以下の優れたアラビア語作家39人を選出する「ベイルート39」に選ばれている。
また、この作品はイギリスの権威ある文学賞の一つ、ブッカー賞の国際版にあたるブッカー国際賞(英語以外の作品の英訳版で、イギリスおよびアイルランドで出版された作品が対象)の最終候補に残った作品である。(ちなみに日系イギリス人作家カズオ・イシグロが『日の名残り』で1989年にブッカー賞を受賞。2020年のブッカー国際賞の最終候補6作には20年以上前に日本で刊行された小川洋子の『密やかな結晶』が入った。)

つぎはぎの「名無しさん」

本書の内容を簡単に紹介したい。
帯には「中東×ディストピア×SF」「テロの遺体から生み出された怪物が、復讐に街を駆ける。衝撃のエンタテインメント群像劇」とある。
舞台は2005年のバグダード。アメリカ合衆国主体の連合軍がイラク戦争を開始したのが2003年だが、まだその混乱の下にあり、各地で自爆テロが頻発するものの、人々はたくましく生きている。戦死した息子の帰りを待ち続けるキリスト教徒の老婆イリーシュワー、古物屋ハーディー、不動産ブローカーのファラジュ、ジャーナリストのマフムード、その他軍人、占星術師、ホテル経営者と登場人物が非常に多く「あれ、この人誰だっけ」となりつつ、登場人物紹介をチラチラ確認しながら読み進めていく。古物屋ハーディーはあることをきっかけに、テロの犠牲者らの肉片をかき集めて縫い合わせ、一人の人間「名無しさん」ことフランケンシュタインを作り上げる。「名無しさん」にテロの犠牲者の一人、ホテルの警備員の魂が入ったところから、「名無しさん」の復讐劇が始まることになる。ちなみに「名無しさん」は英語版では「Whatsitsname」と訳されていたそう。

2020年12月23日に新学術領域研究グローバル関係学B01班「規範とアイデンティティ:社会的紐帯とナショナリズムの間」主催で「アフマド・サアダーウィー『バグダードのフランケンシュタイン』――著者からのメッセージ」というオンラインセミナーが著者と訳者を交えて開かれており、その動画をこちらから見ることができる。作品の魅力をイラクの実際の様子を交えて丁寧に解説してくれており、大変興味深く拝見した。もし本書を読んでさらに興味を持った人がいたら、ご覧になることをお勧めする。

イラクのリアル

前述のオンラインセミナーの中で、著者サアダーウィーは「庶民の視点から見た、イラク国内で吹き荒れた暴力について知っていただきたい」「ニュースで見る政治家ではなく、裏通りに住んでいる普通の人たちの生活にふれてほしい」と語っている。
その言葉の通り、登場人物たちは日本人の持つ典型的な「イラクのイメージ」とはだいぶ違うかもしれない。イスラム教徒が多数派だが、アルメニア教会も出てくれば、ユダヤ風建造物も登場する。男たちはしょっちゅうアラク(アラブ圏のアルコール度が非常に高い酒)やビールを飲むし(イスラームでは飲酒は禁止)、風俗を利用する登場人物も(イスラームでは婚前交渉は禁止)。気に入らない人を「呪われろ」と罵るシーンも多いので、宗教的な見地から「けしからん」と思うかもしれないが、これがリアルなイラクなのだろう。

イラクはペルシャ湾岸、ティグリス川とユーフラテス川の河口に位置し、ちょうどそれはメソポタミア文明の地と重なる。『千夜一夜物語』でも知られるアッバース朝の都はバグダードに置かれ、その強固な円城都市は「マディーナ・アッサラーム(平安の都)」と呼ばれ8世紀から9世紀にかけて空前の繁栄を迎えた。

そのような古く豊かな歴史を持つイラクが、なぜ現在のような混沌の渦中にあるのか?
次回は本書の記述にもある「『名無しさん』と現代イラクの類似性」について考えてみたい。

 

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