Grammatica+  上級へのイタリア語

[第70回]più diとpiù cheはどう違う?/サンレモ音楽祭

今回は、つい先日開催されたサンレモ音楽祭に関する記事です。いきなりですが、次の引用をお読みください。

Siparietto tra Drusilla Foer e Iva Zanicchi prima dell’esibizione della cantante emiliana sul palco dell’Ariston a Sanremo. «Lei ha qualcosa più di me» dice Zanicchi, «diverse cose» è la pronta risposta di Drusilla che aggiunge: «Sono colta».

Corriere della Sera, 4 febbraio 2022)

ドゥルシッラ・フォエルとイーヴァ・ザニッキの間でこんな一幕があった。そのエミリア出身の歌手(であるザニッキ)の出番の前、サンレモのアリストン劇場の壇上でのことだ。「彼女は私以上に何かを持っているわね」とザニッキが言うと、ドゥルシッラはすぐさま「いろいろあるわよ」と答え、さらに「教養とかね」と付け加えた。

siparietto: 幕間(のちょっとした時間)

まず、下の動画からふたりの実際のやりとりをお聞きいただきたいのですが、司会者や歓声もさることながら、わずか数秒の会話の書き起こしが極めて難しい、非常にイタリア的高速ダイアローグが交わされているのですが、ほんの要点だけ書き起こせば、

Zanicchi: Quanto sei alta?

Foer: Parecchio.

Zanicchi : Ma lei ha anche altre cose che io non ho…

Foer: Si, diverse cose. Sono colta, intelligente…

Zanicchi : Va bene.

 

ザニッキ:あなた、背はどのくらいあるの?

フォエル:(あなたよりは)だいぶ高いわね。

ザニッキ:(司会者に向かって)それに彼女には私にはないものがいろいろあるのよ…

フォエル:そう、いろいろあるのよ。教養もあるし、頭もいいし…

ザニッキ:あっそう…

で、このあたりで司会者があわてて(?)会話をぶった切るわけですが、それはともかく、Corriere della Seraの記事に戻ってみると、引用を示すカッコ«  »が使われているにもかかわらず引用が正確でないことはさておき…

今回は比較の話です! 比較を表す副詞piùのあと、今回は前置詞diが来ていますが、接続詞cheが来ることもありますよね。この使い分け、意外とややこしいですよね。

 

このブログにしてはスタンダードな文法じゃないですか?

イタリア語では比較を表すときにはpiùまたはmenoを使うわけですが、「〜より」という比較対象を表す部分を導入する時にdiを使う場合とcheを使う場合があって、その使い分けがなかなか難しいんですよね。比較ってそれなりに早い段階で習う文法事項だと思うのですが、その割にこの使い分けはネイティブも感覚でやっているふしがあって、学習者泣かせですよね。そういう意味では、冠詞に似ているかもしれませんね。今回の文ではdiが使われていますが、たとえばcheが使われるのは次のような場合ですね。

La discesa è in genere più agevole che la salita.

(https://www.treccani.it/vocabolario/piu/)

降りるのは一般に登るより易しい。

第23回でも紹介したような文法書を開いてみると、だいたいの説明は品詞をキーにしてなされています。たとえばSerianniは、「〜より」の部分が名詞の場合は前置詞があればdiでなければche、副詞の場合はdi、そもそも形容詞以外のものが比べられている場合はche…といった、かなり色々な条件をつけて場合分けしています。でも、これだけではうまくいかないのは明らかですね。というのも、今回の文でも上の文でも「〜より」は名詞(me、la salita)で表されているのにdiとcheという違う要素で導入されているし、そもそも今回の文では形容詞でないものが比較されているのにdiが使われています。diとcheの使い分けは、単に後にくる要素の品詞だとか形容詞が使われているかどうかによって決まっているのではなさそうです。

 

今回は、この使い分けについてかなり面白い説明を試みているBedogni (1998)の説を紹介してみたいと思います。この説が面白いのは、比較というものをそもそも二種類に分けて、片方はdiを使うのに対してもう片方はcheを使うというシンプルな説明を提供しているところです。

比較をするとき、その基準にしたがって度合いが決定される尺度と、尺度の中のどこかに位置付けられて高かったり低かったりする比較対象が存在しますよね。今回の文でいえば、尺度は「どれくらいの物を持っているか」で、比較対象は「私(Zanicchi)と彼女(Drusilla)」ですね。言ってみれば、一つのスケールの中に二つのものが位置付けられて、その高い低いがシンプルに比べられているわけです。

これに対して、そもそも尺度が二つ存在していて、それぞれの尺度の中での位置付けが比べられているケースというのが存在します。「降りるのは一般に登るより易しい」という文には「降りることの易しさ」と「登ることの易しさ」という二つの尺度が存在していて、その中に位置付けられる比較対象は「一般的な人々」ですね。これは、discesaやsalitaという語が動詞っぽい意味を持っていることも関連していますね。要するに、スケールが二つあって位置付けられるものは一つなんですね。それぞれのスケールにおける高さが比べられているわけです。尺度が一つのパターンではdi、二つのパターンではcheが使われます。

さて、こうして見ると「その二つって何が違うの?」と思う方もいると思います。確かに、どちらも実質的に同じ意味になることがありますね。降りるvs登るの例文は典型例で、「易しさ」という一つの尺度に対して「降りること」「登ること」という比較対象が位置付けられていると考えてはいけないの?という気がしてきます。これはその通りで、実際、この文ではdiを使ってdella salitaということもできます。どちらの解釈も可能で、それがdiとcheが両方使える(しかも、意味が変わらない)ことと関連しているのだという主張ですね。

この説が面白いのは、次の文のような、どちらも使えるけれども意味が変わってくるケースを説明できることです。

Paola ama lui più di te. (Bedogni 1998: 95)

パオラは君が彼のことを愛しているよりも彼のことを愛している。

Paola ama lui più che te.

パオラは君のことよりも彼のことを愛している。

diを使った文では「彼のことを愛している度合い」が尺度で、比較対象は「パオラ」「君」ですね。これに対してcheを使った文では「彼のことを愛している度合い」と「君のことを愛している度合い」という二つの尺度に対して単一の比較対象「パオラ」が位置付けられて、その高低が比べられているという解釈です。

こういう、わかったようなわからないような気分になる説がいろいろと出てくるのも比較は冠詞っぽい感じがありますね。興味のある方は文献を漁ったりしてみるのもいいかもしれません。

 

今回の参考文献
Bedogni, Ursula. 1998. “L’uso Del «di» E Del «che» Nei Comparativi Di Diseguaglianza.” Quaderns d’Italià 3 (November): 91.

 

 

【+α】サンレモ音楽祭

サンレモで毎年1〜3月くらいに開かれる音楽祭のことを、個人的にはイタリアの紅白と呼んでいます(他にも言ってる人いそう)。毎年、「この歌手まだ生きてたんだ」とか「サンレモもう見てないなー」とか言いながら、なんだかんだとこの時期には話題にのぼる感じが紅白っぽいんですよね。イタリアにおける晩冬の風物詩ですね。ちなみに、歌詞がイタリア語の歌でしか出演することはできません。

サンレモで話題になった歌手はそのままイタリアのメジャー歌手の仲間入りをすることが多いですね。個人的にはFrancesco GabbaniのOccidentali’s Karma(2017年)、MahmoodのGioventù bruciata(2018年)、Pinguini Tattici NucleariのRingo Starr(2020年)あたりが好きです。サンレモ音楽祭で披露されるような曲はだいたいYouTubeでも聴けるし、公式サイト(https://www.rai.it/programmi/sanremo/)なんかをチェックしてみるのもいいかもしれませんね。(土肥)


 

こちらの記事もおすすめ