Alitaliaに代わってイタリアのフラッグ・キャリアとなった「ITA」の運航が始まったことを報じるニュースを先週に引き続き取り上げます。
Ita ha avuto un “merito”: quello di “affrancarsi dall’ingerenza della politica”. Altavilla, incalzato dal giornalista, ha ammesso di aver ricevuto richieste, ma ha precisato: “Tutte respinte”. Parole che hanno provocato reazioni. “Il presidente Altavilla abbia rispetto per il Parlamento.[…]”
(ANSA, 16 ottobre 2021)
ITAには1つ「長所」があった。「政治的介入を受けない」という長所である。記者に迫られたアルタヴィッラ(ITA社長)は、複数の要求が(政界から)あったことは認めたが、「(それらの要求は)全て却下された」と明言した。この発言は反発を招いた。「アルタヴィッラ社長は議会に対する敬意を( )。」
affrancarsi da: ~から自由になる、解放される/ingerenza: 干渉、介入
長神悟先生の『イタリア語のABC』(学生時代に使っていたものは雨にぬれてボロボロになっていたのでさよならをし、改訂版を買いました。きれい)の接続法の項目を見てみると、「接続法は主節で用いられることもありますが,多くの場合,従属節で用いられます。」とあり、その後に従属節における用例の解説が続きます。どうやら今回は、例外的である主節での用例のように見えます。まさに「上級へのイタリア語」を謳うGrammatica+にぴったりなテーマと言えそうですね!
大体の教科書を開いてみると『イタリア語のABC』と同様に「従属節で用いられます」とあって、なんなら活用形もche amiとかche amiateみたいにcheつきで示されているものもしばしば見ますよね。一方で実際にイタリア語の、特に書き言葉を見てみると今回みたいにしれっと主節に現れることがあって、ちょっとやめてよと思ってしまいますね。結論からいうと今回のような接続法はある種の命令を表す用法で、「〜されたし」みたいなニュアンスを表すものですね。
この説明を聞いてまず出てくる疑問は、「じゃあそれって接続法じゃなくて命令法じゃないの?」だと思います。答えとしては「見方によってはそうです」なのですが、今回は接続法と命令法の関係について見てみたいと思います。
そもそも、命令法ってなんでしょうか?
命令するために使われる動詞の形だというのがスタンダードな理解だと思うのですが、そうだとすると、命令法というのはその定義からして2人称でしかありえませんよね。というのも、「命令する」というのは普通、聞き手に何かしらの行為なり状態なりを達成させようとする行為だからです。実際、イタリア語を含むロマンス諸語の祖である古典ラテン語では、命令法の形というのは2人称単数と複数の二つと、せいぜい「〜しよう」という意味を表す1人称複数しかありません。
ラテン語と比べた時、ロマンス諸語の特徴は命令法に専用の形を使わなくなっていることにあります。たとえば、フランス語は直説法と命令法が全く同じ形をしていたりしますね。イタリア語を見てみると、第49回でも触れたように、命令法専用の形を使うのは2人称単数だけで、意味から考えると典型的な命令法であるはずの2人称複数でさえも直説法から借りてきた形を使っているのですね。
もう一つ確認したいのは、命令っぽいけれども上で定義した命令とは言えないような一連の行為が存在することです。今回の文をもう一度見てみましょう。今回の文は記事が引用しているreazioniの一つなわけですが、話し手は別にAltavilla社長に命令をしているわけではありませんね。社長が国会に対する敬意を持つことが望ましいと言っているに過ぎません。もちろん色んな人がこのことを望ましいと思っているのであれば、それは社長がその状態を実現する理由になり得ます。そもそも、何かを望ましいものであると表明することと、それを実現しろと他の人に要求することは、はっきりと分けられるものではなく場合によってはどちらなのか曖昧ですよね。他には「やれるもんならやってみろ」みたいな、実際には話し手は聞き手に何かをしてほしいと思っていないケースもあります。
こうして考えると、今回の文のような接続法の用法というのは、言ってみれば拡張された意味での命令ですね。拡張された意味での命令は、まさに今回の文がそうであるように必ずしも二人称であるとは限りません。こうした使用上のニーズに合わせて、そしておそらくはそもそも命令法専用の形が使われなくなっていく傾向とも関連して、イタリア語で(拡張された意味での)命令を表す形は第49回でも見たように様々な人称の形を持っているのですね。命令法をこれらの形の総称であると捉えるのであれば、今回の文に現れるabbiaは命令法だと言えそうです。
一方で、第49回でも見たように、命令法専用の形(true imperative)とそうでない形(suppletive imperative)には、文法上の違いもちゃんとあるんでしたね。だいたいの文法書では、命令法であるとみなされているのは2人称単数、2人称複数、1人称複数だけです。これは、ラテン語文法や上で見たように「命令」の解釈が影響していそうですね。いずれにせよ、このブログで用語の問題を扱う時はだいたい同じ結論になっている気がしますが、ある形をなんと呼ぶかよりも、ある呼び方をする時にどんな特徴が念頭に置かれているのかを理解することが重要そうです。