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混迷のイラクを文学から読み解く(2/2)『バグダードのフランケンシュタイン』とイラク現代史

本書の記述の中で興味深いのは、遺体のつぎはぎでできた「名無しさん」と現代イラクの類似性である。本記事では、小説『バグダードのフランケンシュタイン』と関連させながら、イラクの歴史を簡単に振り返ってみたい。

イラクの歴史~メソポタミア文明/イスラーム化/人工国家~

イラク共和国、首都はバグダード(バグダッド)。サウジアラビア、イラン、シリアなどと国境を接し、日本にとっても石油輸入ルートでお世話になっているペルシャ湾に面している。古代メソポタミア文明発祥の地であるイラクの地は豊かな歴史を持つ。しかし、イラクという国家は人工的につくられたものであり、歴史は非常に浅い。

シュメール人が築いたメソポタミア文明は、歴史の授業で習うように「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる肥沃な土地で農作物がよく育ち、早くから定住が始まった。洪水などの災害が多く、世界最古の物語とされる「ギルガメシュ叙事詩」にも大洪水についての記述がある(ノアの箱舟伝説はこれに由来すると言われている)。また砂漠に囲まれたエジプト文明とは異なり、外に開けた地であったメソポタミアは、しばしば周囲からの侵略を招き様々な王朝が興亡した。中でも有名なのは「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ王のいた子バビロニア王国だろう。また、初めてオリエントを統一したアッシリア帝国や、その後大帝国を築いたアケメネス朝ペルシャなどがメソポタミアを支配した。そののちにアレクサンドロス大王の支配をも受ける。

7世紀に生まれたイスラームがあっという間にその支配地域を拡大する中で、イラクの地はイスラーム帝国の一部となる。イスラームは誕生直後に、主に預言者ムハンマドの後継者をめぐって多数派のスンナ派と少数派のシーア派とに分かれるのだが、ここで重要なのは、イラクの地には比較的シーア派が多いということだ。
最初のイスラーム帝国であるウマイヤ朝はシリアのダマスカスに都をおくが、次に成立したアッバース朝は新都バグダードを築き、バグダードは空前の繁栄を迎えた。

その後イラクの地はモンゴルの支配を受けたり、トルコ系イスラーム国家のオスマン帝国に支配されたりするが、19世紀にヨーロッパの帝国主義の動きが強まる中でオスマン帝国は弱体化する。20世紀に第一次世界大戦でドイツと結んだオスマン帝国が敗れると、ドイツに勝利したイギリスはオスマン帝国領の支配を図り「イギリス委任統治領イラク」を設立した。

第一次世界大戦後のこのあたりの事情は複雑で入り組んでいるが、山川出版社の『詳説世界史研究(改訂版)』が端的に示している。

「第一次世界大戦後、英・仏など連合国は、中東地域に対して分割統治の体制をとったが、民族運動の激化にともない自治や独立を認め、親欧勢力を育成する方向で対処した。(p.485)」

つまり、イギリス・フランスは旧オスマン帝国を植民地のように支配する代わりに、あえて独立させて自分たちの勢力圏としようとした、ということだ。これにより、第一次世界大戦後、オスマン帝国のアラブ人地域はイラク、ヨルダン、パレスチナ、シリア、レバノンに分割された。イラクでは旧オスマン帝国に対する独立運動の指導者の一人が国王に即位し、「イラク王国」として出発することになる。

ここで気をつけなければいけないのは、アフリカでも行われたように、国境線は英仏などによって人為的に引かれたものである、ということだ。
イラク王国は民族的にはアラブ人が多数派だが、クルド人も多いほとんどがイスラム教徒であるものの、スンナ派が約3割でシーア派が約6割である(世界のイスラム教徒全体では、スンナ派が8割強でシーア派が2割弱。イラクの隣国イランではシーア派が9割)。
近代以降、中東地域で「イスラーム復興運動」や「アラブ民族主義」の潮流はあったものの、イギリスによって「イラク人」とひとくくりにされた人たちに民族的一体感など無かった。

小説の話に戻るが、このイラクと「名無しさん」はともに「寄せ集め」という共通点がる。まず「名無しさん」は、文字通り複数の遺体の「つぎはぎ」である。遺体の寄せ集めである「名無しさん」に対し、人々はそれを帰ってきた死んだ息子と見なしたり、危険な殺人者と見なしたり、救世主、あるいは「彼こそがイラク国民」と見る人もいる。「名無しさん」は肉片が落ちると必要な肉片のパーツを新たに見つけ、復讐は永遠に終わらない。一方現代イラクも、寄せ集めから始まったつぎはぎのような国であり、それぞれの「パーツ」がうごめき合って混沌としている

イラクの歴史~サッダーム=フセイン/イラク戦争/IS~

親英国家として出発したイラクは、第二次世界大戦後の冷戦下でMETO(中東条約機構)の本部をバグダードにおくなど、西側諸国寄りであった。しかし、1958年に将校団のクーデタでイラクの親英王政が倒されると、政情不安が続き、1979年にはバアス党のサダム=フセインが大統領に就く。
サダム=フセインの時代に、イラクは混迷を極める。フセイン政権はスンナ派支持者を基盤としていたため、1979年に隣国イランでイラン=イスラーム革命(イランがシーア派国家となった)起こるとこれのイラクへの影響を懸念し、イラン=イラク戦争(1980~88年)を起こす。なお、イラン革命によってイランとアメリカの関係は最悪になっているため、アメリカはこのイラン=イラク戦争の際に積極的にイラクを支援している。結局この戦争で勝敗はつかないが、アメリカからの軍事援助によってサダム=フセインは独裁権力を強めることとなる。
1990年にはイラクは石油資源を狙い隣国クウェートを侵攻し、湾岸戦争を招いた。その後、大量破壊兵器保有疑惑に対する国連査察を拒否してアメリカに「テロ支援国家」と見なされ、2001年のアメリカ同時多発テロ後には「イラクが大量破壊兵器を保有している」として、2003年にはイラク戦争が始まった。2006年にはフセインは死刑となっている。

スンナ派を基盤とするフセインは、数では勝るシーア派や少数民族のクルド人を冷遇していた。フセイン死刑後にバアス党独裁政権に代わり選挙で成立したシーア派政権は逆にスンナ派弾圧に乗り出す。これがまずかった。2006年から2007年にかけて、イラクは宗派対立を軸とした内戦状態に陥り、多くの犠牲者を出した。

2011年、「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が中東各地に広がると、チュニジアやエジプトなどでは独裁政権が倒れたが、シリアのアサド政権は民主化運動を徹底的につぶそうとし、内戦に突入した。シリアとイラクは国境を接している。両国の混乱の中で台頭した「イスラム国(IS)」は、イラク第二の都市モスルを制圧し「国家」樹立を宣言する。ISには、シーア派偏重のイラク政権に反発したスンナ派の人々や、かつてフセイン政権を支えた元バアス党幹部が多数加わったとみられる。だから、ISは国家運営の方法をよくわかっていたのだ
日本人ジャーナリストらもISによって殺害されたことから、ISの捕虜がオレンジ色の服を着せられていたことが当時話題になった。これは、アメリカがイラク戦争の時に多数のイラク人捕虜(無罪含む)を収容所で虐待していたが、その時の囚人服がオレンジ色であったことの意趣返しだとされている。アメリカが始めたイラク戦争が、ISを生んだのだ。

2005年のイラクを描く『バグダードのフランケンシュタイン』では、イラクの政治的な状況は(たぶんあえて)あまり登場しない。しかし、駐留アメリカ軍の存在や連日続く自爆テロの様子は何度も登場し、暴力の応酬が絶えない様子が描かれ、そのあとに続く2006~2007年の内戦状態を想起させる。
本書は原書のアラビア語では2013年に出版されている。イラク戦争からは10年、そしてIS建国が宣言される1年前だ。
イラクは国土の3分の1をISに掌握されたものの、奪還に向けた戦争の末、2017年末に勝利を宣言している。その後自爆テロは激減し、最後に自爆攻撃が起きたのは2018年1月だった。しかし2021年1月21日にバグダードでは連続自爆テロが起き、少なくとも32人が死亡した。

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