Grammatica+  上級へのイタリア語

[第29回]〈andare+過去分詞〉の受動態/本当のダイヤモンドの話をしよう②

I diamanti non sono così rari(ダイヤモンドはそんなにレアじゃない)の続きです。今回取り上げる一文は、かの有名なフレーズ、「ダイヤモンドは永遠の輝き(A Diamond is Forever)」の背景にデビアス社のいかなる戦略があったのかについて述べるもの。

Da un lato dire che un diamante è «per sempre» legava l’immagine dei diamanti al concetto di amore eterno, rendendo le pietre più desiderabili da chi avrebbe potuto riceverle, dall’altro trasmetteva l’idea che i diamanti non andassero rivenduti, ma piuttosto conservati in cassaforte e poi dati in eredità a figli e nipoti.

Il Post, 14 Febbraio 2021)

まず、ダイヤモンドは「永遠に」というフレーズは、ダイヤモンドのイメージを永遠の愛という概念と結び付け、それを受け取れる可能性のある者にとって最も手に入れたいと望まれる石にした。と同時にそのフレーズは、ダイヤモンドは転売されるべきものではなく、金庫の中で大切に保管され、いずれは子や孫に受け継がれていくもの、という考えをも広めたのである。

 

今回のテーマは〈andare+過去分詞〉の形の受動態です。

Grammatica+ではすでに何度か受動態を取り上げていますが、andareを伴うものは今回が初めてです。〈andare+過去分詞〉は「~されるべき」というニュアンスなんですよね?

 

義務だけじゃないandare受動

といっても、andareを使った受身の文で最初に出てくる解釈はもちろん「〜されるべき」という義務を表すものですよね。今回の文もその通りで、「転売されるべき(ではない)」ですね。これに対して、一部の動詞ではandareを使った受身でも義務のニュアンスを伴わないことがあります。例文を見てみましょう。

La casa andò distrutta negli anni settanta. (Sansò & Giacalone Ramat 2016: 5)
その家は70年代に壊された。

こうした義務のニュアンスのないandare受動の特徴は、表されている動作(この例文ではdistruggere「破壊する」)がそれを行う主体(動作主agente)の意図と切り離されて表現されることです。要するに、この文では「破壊する」という行為を行った動作主の存在が限りなく薄められた上で、「壊された」という結果としての状態が表されているわけですね。このような文を作ることのできる動詞は、distruggereの他にperdere「失う」やspendere「費やす」など、喪失や破壊に関わるものがあります。以下では、便宜上こうした受身文のことを「消失のandare受動」と呼ぶことにします。

 

2種類のandare受動の特徴

二つのandare受動はそれぞれ異なる特徴を持っています。まず、消失のandare受動では動作主の存在が限りなく薄められているために、daを使って動作主を明示することができません。実は義務のandare受動でもda+動作主はかなり出てきづらいのですが、こちらはものによっては出てくることができます。

次に、消失のandare受動は大過去を除いて全ての時制で用いられることができます。これに対して、義務のandare受動は遠過去を除いた単純時制(tempi semplici)に限られます。単純時制というのは、助動詞(essereまたはavere)+過去分詞の形をしていない時制のことで、たとえば現在形とか今回の文のような(接続法)半過去がそれにあたりますね。助動詞+過去分詞の形をしているものの典型例は近過去で、こちらは複合時制(tempi composti)です。上の消失のandare受動の例では、遠過去が使われていますね。

さて、こうして見てみると消失のandare受動は第15回で扱った、essereを使った状態受動に似ています。どちらも動作主の存在は薄められ、そのためにda+動作主が現れることができず、また時制の制限を受けません。この回でもちらりと書いたのですが、essereを使った受身のうち状態受動というのはその名の通り状態を表しているのであって、実は受身の文ではありませんよね。本物の受身の文というのは、動作受動のものだけです。全く同じように、消失のandare受動は実は受身の文ではありません。本物の受身の文は、義務のandare受動だけです。

essereを使った状態受動も、andareを使った消失の受動も、どちらも過去分詞はむしろ形容詞として使われていて、前回扱った措定文の一種であると言えます。andareは、ある種のコピュラとして使われているのですね。essereじゃないのにコピュラなんておかしいと思う方は、たとえばfinire「終わる」なんかもコピュラっぽい文を作れることを思い出してみてください。

Il disgraziato finì schiacciato sotto un’auto. (Salvi & Vanelli 2004: 70)
その運のないやつは車に押しつぶされることになった。

といっても、essereを使ったコピュラ文はやっぱり特別な性質を持っています。たとえば、消失のandare受動の過去分詞はloで代名詞化することはできません。andareを使った受身の文が生まれた経緯については特に2010年代になっていくつか重要な研究が出てきているようです。興味のある方は下の参考文献から辿ってみてください。

📕今回の参考文献
Sansò, Andrea, and Anna Giacalone Ramat. 2016. “Deictic Motion Verbs as Passive Auxiliaries: The Case of Italian Andare ‘go’ (and Venire ‘come’).” Transactions of the Philological Society. Philological Society 114 (1): 1–24.

 

[+α]ダイヤモンドと慣用句

ダイヤモンドがそんなにレアじゃないというのは僕は知らなかったので割とショックなのですが、ともかく存在感のある宝石であることは間違いなく、イタリア語でもdiamanteを含む慣用句というのがけっこうあります。小学館の伊和中辞典をめくってみるだけでもcarattere di diamante「剛直な性格」avere un cuore di diamante「非情な心をもつ」など、色々と見つかります。ところでこの辞書ではessere la punta di diamanteというのを「論拠がしっかりしている」としているのですが、ダイヤモンドの先端であるというのは「特に硬い部分である」ということで、人や物などの性質の一部について「特に秀でた部分である」という意味ですね。確かに議論において特に有効な部分に対して使えるのですが、どちらかといえば「しっかりした論拠である」の方が近いような気もします。どちらにせよ、慣用句については訳を覚えるよりも実際に使われているところを多く読む・聞くほうが大事かもしれませんね。(土肥)

 

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