マフィアを主題にした映画、というだけでなく、全映画史上の最高傑作にも挙げられる『ゴッドファーザー』――これについても語りたいのはやまやまですが、これはあくまでアメリカを舞台にした(イタリアも出てきますが)アメリカのマフィアの話で、言うまでもなくフィクションです。『ゴッドファーザー』の初代ドン・コルレオーネ(マーロン・ブランド/ロバート・デニーロ)はイタリア・シチリア島のコルレオーネの出身という設定でした。このコルレオーネという町は実際に数多くのマフィアを生み出した実在の町です。ここで生まれ育ったやくざ者たちがCorleonesi(コルレオーネの者たち)としてシチリア・パレルモ界隈のマフィアたちとの抗争を制し、巨大な犯罪組織として国中に悪名をとどろかせるようになり、イタリア政府が国を挙げて取り締まりに乗り出す……という一連の史実を描いたテレビドラマに、『コルレオーネ』(Il capo dei capi, 2007)という作品があります。
『コルレオーネ』は、サルバトーレ・リーナ(愛称トト)という実在のマフィア(Corleonesiですね)のボスを主人公に据え、その少年時代から老境に差し掛かって警察に逮捕されるまでを描きます。
マフィア(やヤクザ)と言えば「抗争」というイメージですよね。シチリアのマフィア(ちなみに彼らのことを指して「コーサ・ノストラ」とも言います)も当然マフィア同士で「シマ」を巡って抗争に明け暮れ、力で勝った者がさらに支配力を拡大させていきます。こんなことを言うとアレですが、ものすごく乱暴な言い方をすれば、マフィアとマフィアが殺し合っている分には一般市民はそこまで気にしない、みたいな側面があると思います。北野武の『アウトレイジ』シリーズも基本的にはヤクザの「組vs組」ですよね。だから安心して殺し合いを鑑賞できるという部分がある。
しかし、1970年代後半から80年代にかけてのシチリア・マフィアは、もはや近場には敵対できる組織がないほどに膨れ上がった一大犯罪組織であり、とりわけ麻薬ビジネスに手を広げてからは多数の国民の健康に悪影響を与えるようになり、ついにこれを潰すために中央政府が腰を上げることになります。しかし、トト・リーナ率いるマフィアはこの動きに公然と盾付き、当局者を次々に殺害していきます。検察官や将軍、政府関係者を、です。テレビゲームか何かのように、卑劣な手段を用いて次から次へと殺していくのです。ここにあるのはもはや「マフィアvsマフィア」の抗争ではなく、「コーサ・ノストラvs国家」という構図です。
代表的な事例だけ挙げれば、1982年、政府はダッラ・キエーザ将軍に「マフィア撲滅」を命じてパレルモに派遣します。このダッラ・キエーザ将軍という人は極左テロ組織「赤い旅団」(モーロ元首相の誘拐事件で有名)の撲滅に貢献した人物でした。しかし、この将軍は現地派遣後から100日後にマフィアの手によって暗殺されます。
その10年後、マフィア撲滅を先導していたジョヴァンニ・ファルコーネ判事が暗殺され、さらに彼とともに運動を展開してきたパオロ・ボルセリーノ判事も無残に殺されます。
ドラマを見るとよくわかるのですが、これらの国民的英雄たち(国民に広く愛され、尊敬されていたことが伝わってきます)が殺害されるに至って国民が抱いたのは、恐怖というよりは、深い悲しみであり、痛みであり、そしてもう黙って見過ごすことはできないという怒りです。
いかなる正当性をも失ったマフィア
この『コルレオーネ』というドラマは、第二次世界大戦さなかのイタリア南部の小さな農村(=コルレオーネ)で、畑に落ちていたアメリカ製不発弾を少年トト・リーナの家族が見つけるところから幕開きます。リーナの父親はこれを家に持ち帰り、解体を試みます。中から火薬を取り出して売ろうというのです。なぜそんなことをするのか? 貧しいからです。解体を試みた結果、不発弾は暴発し、リーナの父と弟が死にます。この物語においては、この貧しさ、その原因を作った国家への怒りが、発端にあることが示されているわけです。
確かに、勝ち目のない戦争へと突入し、戦後も南北問題を解決せずに南部の貧困問題を放置してきたイタリアという国家に、マフィアという存在を生み出し、存続させてきた原因の一端があったのは事実でしょう。しかし、民衆に弊害しかもたらさないドラッグを蔓延させて私腹を肥やし、国家権力を暴力で愚弄するに至って、もはやマフィアは誰からも支持されない、純粋なる悪へと没落します。
かつては自身もマフィア組織のボスだったトンマーゾ・ブシェッタという男が警察側に寝返ってさまざまな情報をリークしたことをきっかけに、コーサ・ノストラの一斉検挙という歴史的事件へと大きく動き出すことになります。実は、トンマーゾ・ブシェッタによるこの「裏切り」をテーマにした映画が昨年公開されています(邦題『シチリアーノ 裏切りの美学』)。
Claudio Gioèが演出する絶妙な「小物感」
この『コルレオーネ』というドラマにおいてもう一つ特筆すべきなのは、コーサ・ノストラのボス、トト・リーナを演じた主演俳優クラウディオ・ジョエ(Claudio Gioè)の演技のすばらしさです。トト・リーナは実力で他の勢力を排除し、最終的にとてつもない金と権力を手中に収めた超大物、絶対王者でした。誰もが彼を恐れ、彼に唯々諾々と従うことしかできませんでした。しかし、にもかかわらず、あるいはだからこそなのか、クラウディオ・ジョエ演じるトト・リーナには終始、そこはかとない「小物感」が漂っているのです。とりわけそれはちょっとピンチになった時の口元なんかに現れます。この表現力がこのドラマに大きな説得力を与えています。
思い浮かべていただきたいのですが、『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランド、アル・パチーノ、ロバート・デニーロの演技に少しでも「小物感」を感じさせるような部分があったでしょうか。もちろん彼らが演じる「ドン・コルレオーネ」にも傲慢さや弱さは垣間見えます。しかし、それはむしろその人物の深みを表現するような、何か人としての豊かさのあかしであるかのように見えます。
ジョエの演じるトトはそれらとはまったく異なります。「こんなちんけな人間が悪の世界のトップに立ってしまった、いや、こんな人間だからこそここまで暴走できたのだ」という悲劇性を視聴者にイヤというほど理解させてくれるような演技なのです。
見どころ満載の『コルレオーネ』ですが、パッと探してみた限り、主要なストリーミングサービスでは見られないようですね。AmazonなどでDVDを買うか、レンタルビデオ店でレンタルするか、ということになるようです。(田中)