Grammatica+  上級へのイタリア語

[第38回]遠過去の形の「異形の者」感について/ciaoの語源は「奴隷」?

La storia di Venezia nelle parole che ci ha lasciato(現代イタリア語のことばに見るヴェネツィアの歴史)というワクワク感のある記事を見つけたので、2回にわたってその内容を紹介しつつ、かつ文法テーマにも触れていきます。

今回取り上げるのはCiaoの由来です!

Il saluto italiano più comune e conosciuto iniziò a diffondersi a partire dall’Ottocento proprio da Venezia, dove nacque dalla contrazione di “sciavo vostro” (“schiavo vostro”), una forma di saluto reverenziale proveniente dal tardolatino “sciavus”.

Il Post, 25 Marzo 2021)

最も一般的でよく知られたイタリア語の挨拶(であるciao)は19世紀以降、まさにヴェネツィアから広まったもので、“sciavo vostro”(私はあなたの忠実なるしもべです)という、後期ラテン語の”sciavus”に由来する敬意を示す挨拶表現が縮まって生まれたのである。

diffondersi: 流布する、広まる/a partire da: ~から、~以降/contrazione: 短縮、縮約/schiavo: 奴隷/reverenziale: 敬意に満ちた/proveniente da: ~に由来する/tardolatino: 後期ラテン語

 

多くのイタリア語学習者が内心思っているであろう疑問を勇気を出してprofessoreにぶつけてみます!

イタリア語の動詞の活用形の中で、遠過去だけ、その、ちょっとふざけt・・・いや、何かこう解き放たれたような形をしていませんか・・・? どの動詞を見ても、遠過去以外はそれなりに統一感があって、「そうだよね、表す時制は違えども僕らは仲間だよね、なんとなく見た目は揃えていこうよ」という協調性がうかがえるのに対し、遠過去だけ「我関せず」というか、「異形の者」感があるのですが。ありませんか?

 

遠過去、正直苦手です

というのも、第16回でも見たようにこの時制は主に中央から南イタリアで使われるもので、僕はずっと北イタリアに住んできたからなんですけど。といっても、苦手意識を持っている人はけっこう多いのではないでしょうか? これは近過去との使い分けが難しいというのもあるし、まさに国光くんの質問のように単純に複雑な形をしているというのもありそうですよね。語の形について扱う言語学の部門のことを、形態論(morfologia)と言います。このブログで主に扱ってきたのは統語論(sintassi)なので、今回はちょっと珍しい回ですね。

遠過去の「異形の者」感ですけど、多分主に同じく直説法の現在形や半過去形、未来形なんかと違って、語尾が一人称単数-o、二人称単数-i…となるいつものパターンでないことが関係している気がします(少なくとも、僕にとってはそうです)。

 

「統合的な形」と「分析的な形」

動詞の活用形というのは、大きく分けて語幹(tema)語尾(desinenza)からできています。語幹はさらにそれ自体が語の意味を表す部分と活用の種類を表す部分に分かれますが、とりあえずそれは気にしないことにします。例えば、cantare「歌う」という動詞の直説法現在一人称cantoは、語幹cant-と語尾-oからできているということですね。

もちろん動詞の活用形みたいなものってある程度までは「そういうものです」としか言いようがない気もしますが、この語尾の部分が遠過去だけ他と違う感じがするのは歴史的経緯と関係しているように思います。というのも、イタリア語の遠過去は元となったラテン語の活用形(完了形)の直接の子孫だからです。イタリア語ってラテン語の子孫なんだから、そんなの当たり前じゃないの?と思われるかもしれませんが、イタリア語の動詞は、ラテン語を特徴づける豊かな語尾による活用を失って、助動詞(essere, avere)を使うように変化していったことがその特徴です。語尾によって活用を示すものを統合的(sintetico)な形、助動詞によって表すものを分析的(analitico)な形と言います。

典型例として、動詞amare「愛する」の直説法未来形について見てみます。ラテン語では、未来は統合的な形で表されていました。たとえば、一人称単数amāboです。語幹amā-に対して、語尾-boが未来であることを表していたわけですね。これに対して、イタリア語ameròは分析的な形です。語幹amer-に対して語尾-òが未来であることを表しているのは一緒なのですが、この-òは元を辿ると動詞avere(の元となった動詞habeo)の現在形なのですね。語尾の部分がそもそも現在形で出来ているのだから、avereは不規則動詞とはいえ、現在形と未来形の活用が似ているのは当たり前ですね。ちなみに、他に統合的ですみたいな顔をしている分析的な形としては語幹+avereの遠過去でできている条件法現在なんかがあります。わかりやすく分析的なのは、avereまたはessere+過去分詞で作る近過去などですね。

さて、こうして考えると、統合的な形をそのまま保っているというのは、もうそれ自体がけっこうレアな特徴なんですね。直説法では、活用のいわば基本形である現在形を除けば統合的な形をしているのは他に半過去くらいです。しかも、実はその半過去も現在形の影響を受けて形が微妙に変わっていたりします。具体的には、昔は直説法半過去一人称単数の形は三人称単数と同じでした。ダンテなんかをみると、io aveaみたいな形が使われています。14世紀頃から、一人称単数と三人称単数を区別するために現在形にならった語尾-oが使われるようになったようです。したがって、現在形と半過去形が似ているのもやっぱり当たり前ですね。

こうして、統合的な形を保ってかつ現在形の影響も受けなかった遠過去は一人だけ浮いているような状態になったわけです。別の言い方をすると、遠過去というのは豊かな活用語尾を持っていたラテン語の特徴を保持している、保守的な時制なんですね

 

[+α]Ciaoの由来についてもう少し

せっかくなので、ciaoの由来についてもう少し踏み込んでみましょう。ciaoの元になったという”sciavo vostro”のsciavo/schiavoは、なんとslavo(スラブ人)から来ているというのですね。これは中世後期、バルカン半島出身の人間の多くがヴェネツィアを含む欧州各地で奴隷であったことと関係があるようです。

興味のある人は、以下のURLからぜひ元記事もチェックしてみてください。(田中)

 

◆引用元:La storia di Venezia nelle parole che ci ha lasciato

 

 

Photo by Marialaura Gionfriddo on Unsplash

 

 

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