みなさん、こんにちは。ヤンケ・ザマケスキーです。これからしばらくの間、
という授業を担当させていただきます。よろしくお願いします。
さて、みなさんの中には例えば自己紹介なんかをするときに「趣味は何ですか?」と聞かれて、「映画観賞です」と答える人がきっといるでしょう。あるいは「映画は好きだけどほんとうに好きな人と比べると……」なんてことを考えて、別のことを趣味と言ってみたり、「趣味は特にありません」と答えてしまう人もいるかもしれません。私もどちらかといえばこっちよりの人間で、なかなか堂々と「映画鑑賞が趣味です」とは言いにくい。いや、そう言っていないこともないのですが、自分の気持ちとしては言いにくい。そんなやつが映画についての講義を行うというのは一体どういう了見かと眉をひそめる方もいるでしょうし、私としても不安がないとはいえません。しかし今日のオリエンテーションが終わったときには、こいつと映画の世界を漂流するのも悪くはない、と、そう思っていただけるように話をしてみるつもりです。もし今日の私の話が終わってみなさんにそのように感じていただければ、今回のオリエンテーションはその役目を果たしたことになります。まぁ始める前からこんなことを言っていても仕方ありませんから、話を進めてまいりましょう。
なんの話だったかといえば、映画鑑賞が趣味だとは言いにくい、ということを話していたのでした。そこで、それはなぜか、と考えてみたい。これが今日の本題です。というほど大した話でもないのですけれど、なぜ映画鑑賞を趣味だと宣言することが、私や、もしかするとあなたにとっても、抵抗のあることだと思えるのでしょうか。私は自分が変人だという自覚が多少はありますから、いまから私が話すことが皆さんにも当てはまるとはあまり考えていませんけれど、もし共感してもらえたとしても、別にそれをもってあなたが変人というわけでもない。たいていは「ちょっとはわかる気がする」というところに落ち着くでしょうし、それで構いません。
私は、映画はただのエンターテイメントであると考えたい。考えたい、というのは本当には映画がエンターテイメントであると思っていないということです。ややこしいですね。
まず、私は鑑賞する側の者として、映画に対して娯楽を超えたなにかを求めている。
もちろん気分によっては娯楽を欲して映画を観るという日もあります。さんざん疲れた日にはできるだけ頭を使わなくていい作品を観たい。例えば、バキュンバキュンと拳銃をブッ放したり、カンフーみたいに素手で敵を倒したりするような映画とか。実はそういった作品がけっこう好きだったりもします(「頭を使わなくていい」なんて随分失礼な言い方をしているので作品名はいわないでおきましょうか)。
でも、そうじゃない気分のときもある。さきほどの言葉を裏返せば、もっと頭を使うような映画ということになるのでしょうか。「おもしろかった」という感想だけが残って内容のほうは1週間もすればすっかり忘れてしまう。それでは少し悲しい。そうではなくて、やはり作品を観たあとにも心になにか残るものがある作品を観たいですし、そのような観方をしたいと思っています。
いい映画というのは、そのおもしろさについての語り方が即座にはわからないものである、というのが私の個人的な感覚です。
では、いつわかるのかということが問題なのですが、やはりそれは言語化の作業が必要で、私が冒頭に言った「ほんとうに映画が好きな人」というのは、それをやるのですね。世の中には映画を観て、そのあともその映画についてあれこれと考えたり、書いたり、話したりすることが大好きな人間がたくさんいるわけでして、私自身もそうありたいと思っているのですが、じっくりとそれと向き合うことができていない。それは、やっぱり考え続けるっていうことのしんどさです。だから、たいていは「う~ん、よくわんらんけど、おもしろかった(けど、よくわからん)」みたいな感じで終わってしまう。悲しいかな、これが私の現実です。このような現実を理解しているからこそ、先刻から申し上げているように「映画鑑賞が趣味です」と言うことがどこか後ろめたいような感じがするのです。「ほんとうに映画が好きな人」の前ならなおさらで、宿題をやってこなかった生徒が先生と対峙するときの「バレたら怒られる」という緊張感のようなものを感じてしまいます。
でもまれに、散歩をしてるときとか、湯船につかっているときとか、日常のふとした瞬間に「あ、あの映画ってこういうことなのか!」と気が付くことがある。それはもう嬉しくてワクワクするわけです。映画を観てしばらくたっているのにもかかわらず、その作品に込められた意図やメッセージを受け取ることができたということですから。そういう、ただちには了解されないおもしろさも含めて私は映画鑑賞を楽しんでいるんです。
そういう映画の楽しみ方を初めて知ったのは、20代の後半にいわゆる教育実習で出身高校へ行ったときのことだったと思います。教育実習の初めの頃というのは、担当の指導教員の授業をとにかく見学するのですが、その先生の授業で生徒たちに映画『パッチギ!』を見せるのです。別に教育実習生のためにその先生のカリキュラムを変えることはしませんから、例年通り、その先生は生徒たちに『パッチギ!』を見せ、私も生徒たちと一緒になってそれを見る。沢尻エリカかわいいなって思いながら見る。同じ授業を他のクラスでもするので、当然私は何回も観ることになる。同じ映画を短期間に何度も観る経験というのもたぶんこれが初めてで、私は映画を観ていないときでも次第に『パッチギ!』について考えるようになっていきました。だんだんとひとつひとつのシーンがそうでなければいけない理由が分かってきて、最初に観たときとは違うより豊かな次元で作品が見えるようになる。これはつまり「川と橋」の話なんだと分かったときの震えるような感覚はいまでも覚えています。あまりの興奮に自分の研究授業でそれを題材として扱ってしまったほどです(うまくいったかどうかはさておき、とても貴重な体験でした)。この『パッチギ!』についてはまたどこかで機会があればお話しするかもしれません。
つい話が逸れてしまいましたが、今日はここで時間がきてしまったようです。
次回はどんな話ができるのか。
それではまた。