新風土記 〜 嵐山珍野菜探求録 〜

だから僕は畑を耕した

新風土記 〜 嵐山珍野菜探求録 〜

執筆: 仙仁 透

 

「やっぱり畑がアツいと思うんだ。」

畑を始める半年ほど前のこと、僕は当時付き合っていた恋人と居酒屋でお酒を飲みながらこんな話を切り出しました。彼女は日本酒を飲みながら「またいつもの突拍子もない思いつきか…」という薄い反応。お店の自慢のお蕎麦に夢中になりながらも一応相槌を打ってくれる彼女に向けて、僕は畑に関するプランをひたすらに熱弁していました。

畑を始める。この話をすると大体同じ反応をされます。いきなり何を言い出したんだ。若者、特に僕のようないかにも力仕事と無縁な人間と畑仕事はどうやら容易にはむすびつかないようでした。

そんな周りの反応とは裏腹に、この畑計画は僕の中でかなり練りこんだものでした。初めて人にこの話をするよりさらに半年前、畑を始める構想はスタートしていたのです。

ここ数年、僕の中で論理というものが大きな関心事のひとつでした。論理的という言葉は頻繁に耳にするけれど、大半の人が言う論理的という言葉の範疇が極めて狭いのではないか。湧き出した水が上流から下流へ、そして海へと注いでいくという一連の無理のない壮大な流れのようなものこそ論理と呼ぶべきものであるはずなのに、一般に使われる(そして自分自身も無意識に用いている)論理という言葉は、目に見える川の流れの範疇で導き出せる法則というような、きわめて限られた範囲に偶然適応できる法則に過ぎないのではないか?こうした思いが常に僕の頭の片隅にありました。そして自然の部分集合としての人間の生活という前提に立った論理性の探求に僕の興味は移っていきました。

自然という僕たちの生活の大前提に向き合ったとき、真っ先に頭に浮かんだのが「時間」と「不確実性」という2つの概念です。僕たちは過去から未来へと流れる時間の中を生きているし、災害や突発的な事故、直近でいえば疫病の拡大など、予想だにしないことが起きる可能性にさらされています。「論理的」に物事を考えるといったとき、僕たちはこうしたものの影響を無視したりリスクを捨象したりするわけですが、実は無視したり捨象したものの中にこそ物事の輪郭を捉えるヒントが隠れているように思うのです。既存の常識が覆されていく現代社会を生きていくにあたって、「時間」と「不確実性」を肌で感じる経験に身をさらしておきたい。こうしたことを考える中でたどり着いた答えが「畑」でした。

実際に畑を始めてみると、そこには思った以上に「時間」と「不確実性」を感じさせられる経験が待ち受けていました。出だしからしてコロナの影響で畑の契約が遅れました。契約を待つ間にも苗はどんどん育っていくため、家の中が苗だらけになってしまいました。また細心の注意を配りながら育て、ようやく畑に植え付けることのできたハバネロ、ジョロキア、ハラペーニョといった希少品種の唐辛子の数々は翌週の豪雨で全滅。それまで順調に育っていた葉野菜が突然枯れたり、あと少しで収穫のはずだったトマトが鳥に持っていかれたり。「計画」という言葉からは最も遠い試行錯誤の連続でした。日々仕事をする中で当たり前になっているKPIや予算目標といった“常識”は、農作業の中では“非常識”となることさえあります。最低限のコストで目標に到達しようというビジネス的な「正解」は、毎日が不確実性にさらされる農作業においては最悪手です。自然という僕たちの生活の大前提となっている存在を意識する。畑を掘り返してみると、僕の目論見どおりのイベントがたくさん埋まっていました。

さて、この連載では上に述べたような動機で始めた畑で経験したことをいろいろと紹介していきたいと思っています。とはいっても硬い内容は今回が最初で最後。明確な意図を持って始めた畑ではありますが、そこで得られた経験は論理性云々とか、不確実性云々という小難しいことではなく、むしろ新しい発見や驚きに満ち溢れたことばかりでした。日本ではほとんど見かけない海外の野菜を栽培法から探して育ててみたり、あるいは生産戸数がごくわずかな日本の伝統野菜を育ててみたり。また、珍しい野菜を育てていると、当然その調理方法も一筋縄ではいきません。エジプト料理のムルキーヤビルクズバラ、ペルー料理のセビーチェなど、野菜を育てるのに付随して世界のレシピや調理法にも詳しくなったので、こういった少し聞きなれない料理についても紹介できたらと思います。

僕は農業の専門家ではありません。専門的な農業の知識やノウハウを書くことは不可能です。しかし農作業に触れることを通して経験したワクワクの数々を文字にして伝えることは可能です。農業の専門家ではないからこそ、畑を通して知った世界や日本の文化や地理、風土などが発信できると思っております。まだまだ僕自身、この連載がどのように転がっていくのか全貌が見えていませんが、畑と同じくゆっくりじっくり、道中で起こる不確実性を楽しみながら豊かなものへと“耕して”いくことができたらと考えます。どうぞこれからお付き合い下さい。